今日はこどもの日である。
雑誌のスクラップ記事を整理していたら、こんなのが出てきた。
「小さなサムライたち」というシリーズ表題の、見開き2ページのエッセイである。
掲載誌は雑誌「PHP」1987年5月号、古いなぁ……
書き手は、吉岡たすくさんという児童文化研究家の方で、この回のタイトルは「泣き虫キヨミちゃん」であった。
前半はタイトルにある「キヨミちゃん」がいかに泣き虫であるかの説明となっており、後半でそのキヨミちゃんと仲良しのヒロコちゃんが転校する日の話が語られる。
ヒロコちゃんが転校する日、ヒロコちゃんは教室でお別れのあいさつをする。
ヒロコちゃんは話し出した途端に泣き出してしまう。
するとクラスの女の子も泣き始める。
しかし、泣き虫のキヨミちゃんだけは泣いていなかった。
キヨミちゃんはじっとヒロコちゃんを見つめていた。
あとで訳をきくとこう言ったという。
「転校するのはしかたがないもん。また、いつか会えるもん。」
エッセイはここで終わり、吉岡さんはキヨミちゃんのこの言葉についてのコメントを何も書いていない。
キヨミちゃんだけに何か特別な心情があったであろうということをエピソードで提示しているだけである。
この記事がスクラップされていたということは、最初に読んだ当時に思うところがあったのだろうが、この記事についてのメモは見当たらなかった。
まぁ、それはそれでしょうがない、要は、今どう思うかということだ。
最初に思ったのは、泣きたいのをよく我慢したね、ということではないだろうということである。
前半部分でキヨミちゃんは、飼っていた文鳥が死んだときに一日中泣いていた子ども、「家なき子」の話をきいてしばらく泣き続けていた子どもとして紹介されている。
この時だけ、泣くのを我慢していたのだろうか。
そして、泣いているヒロコちゃんをキヨミちゃんはじっと見つめていた。
我慢しているようには思われない。
この経験をきっかけに、キヨミちゃんは泣くのを我慢することができるようになったというエピソードとして捉えるのには無理があるように思われた。
ヒロコちゃんとの友情から、この別れが非常に悲しいものだとすると心理的な防衛としては次の二つが考えられる。
一つは、この悲しみが子どものキヨミちゃんが受け止めるのにはあまりに大きすぎたために、受け入れが拒否されたということである。
あり得なくはないが、この場合は我慢ではない。
もう一つは、ここで泣いてしまうとヒロコちゃんとのお別れが、本当に「悲しい」現実になってしまうので、対処の手段として泣くのをこらえたということである。
これは大人の場合にはしばしば見られるが、キヨミちゃんが意識的に行う心の動きとしては考え難い。
悲しい現実を、意識的にではなく子どもの自然な心が全力で拒否したのだ、と解釈することはできるように思う。
この解釈では、悲しい現実に対して希望を自ら見出す意志が感じられる。
しかし、この場合の解釈としてはどうもまだしっくりこない。
キヨミちゃんは泣かなかったのだから、実際に悲しくなかったということは考えられないだろうか。
あるいは、キヨミちゃんの心の中では、残念と悲しいは違っていたのかもしれない。
とも考えてみたが、もう一度読み直すと「泣いているヒロコちゃんをキヨミちゃんはじっと見つめていた」ということに注目すべきであるように思われた。
仲良しだったキヨミちゃんとヒロコちゃんだからこそ生まれていたコミュニケーションとは何であっただろうかと考えてみる。
キヨミちゃんは悲しかったのだけれど、ヒロコちゃんに「私は悲しくないよ」と伝えたかったのではないだろうか。
仲良し同士の二人なら、もう会えなくなるねと二人で涙するのも自然であるし、先にどちらかが泣き止んで「また、いつか会えるよ」というのも自然なことであるように思われる。
キヨミちゃんはヒロコちゃんから引っ越しの話を事前に聞いていたのではないだろうか。
その時は、悲しくて泣いてしまったのではないだろうか。
残念ながらそのあたりの事情は特に書かれていないが、私の今の解釈は、「また、いつか会えるから私は悲しくないよ、ヒロコちゃんもそんなに泣かないで」という思いを伝えたくて、ヒロコちゃんをじっと見つめていたキヨミちゃんであったということにしておく。
「サムライ」ですなぁ。
なかなか上手いシリーズ表題である。
あらためそう思って、「小さなサムライたち」というシリーズ表題をよく見ると、丸囲み文字で「250」とあった。
どうも長期連載のエッセイのようである。
調べてみたところ、1970年代から数冊のシリーズが書籍化されていたが入手困難または高値の状況であった。
既刊の書籍から抜粋再録した新装改訂版もあった。
▼吉岡たすく「小さいサムライたち」PHP研究所1988(新装改訂版)
30年以上も前に書かれた内容であるが、「泣き虫キヨミちゃん」のような事例が今の教室で見られたとしても違和感はないと感じたので、今読んでも意味のある良書のように思われた。
著者の吉岡たすくさんについても確認してみた。
大阪で小学校の教諭・校長などを40年以上務める。
幼児教育と童話を研究するかたわら執筆活動と全国各地での講演活動を続けた。
番組開始当初からレギュラー講師を22年間務め、小学校教師の経験を元に独自の子育て論を展開。
1998年に番組を降板し、2000年5月逝去。
こういう方がいたんですねぇ……
単行本を入手したら、いずれまた温故知新させていただきたいと思う次第である。