今回は映画関連の記事で更新しようと思ったのだが、前の記事【公式】100分de名著:42 「ブッダ 最後の言葉」を読み直したら、自分が伝えたい内容が十分に書き切れてなかったように感じたので、追加の記事を書くことにした。
前の記事をまとめると、こういうことであった。
第1回のポイント:
僧(サンガ)こそは教えを具現化する唯一のもの
第2回のポイント:
拠り所とすべきはブッダではなくて修業をする「己」と「教え」のみ
第3回のポイント:
根深い自我を中心としたあらゆる執着を捨てるということ
第4回のポイント:
お前たちは「我々の師はもうおられない」と考えてはならない。
私の説いた教えと、私の定めた法律が私亡き後の師である。
もろもろのことがらは過ぎ去っていく。
怠ることなく修業を完成せよ。
本当に大切なことがシンプルにまとめられていて、教えの本質がよくわかる内容だった。
この内容的なまとめを踏まえて、自分が感じたことを加筆しておきたい。
修業の核心は「己」と「教え」のみを拠り所にして修業を続けること。
お経が何千巻あろうとも、「教え」の核心は執着を捨てること。
このことの意味は、日常生活での実践が修行でもあり得るということ。
以前に紹介したコンマリ流片付けも、執着を捨てることにつながるのであれば修行である。
1つ1つの物事をよく吟味してから判断して結果を確認するというのも、自我を中心とした見方に捉われないようになるのであれば修行である。
こうした修行でもある実践は我々のすぐ近くにある。
これを1つでも、毎日少しでもやるかやらないかの違いは非常に大きい。
「修行と日常生活は別々のものである」といった考えや、「教えは高尚なものである」、「修行は難しいものである」といった理由で敬遠することなく、修行でもある実践を続けていきたいものである。
また昨今では、これまでにない災害や新しい社会問題が起こってきている。
いざという時の振る舞いは、日常生活の中における実践の試金石である。
▼原典本
ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫)
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▼NHKオンデマンド 特選ライブラリー(単品 110円 税込)
100分de名著 ブッダ 最期のことば 第1回「涅槃(ねはん)への旅立ち」
100分de名著 ブッダ 最期のことば 第2回「死んでも教えは残る」
100分de名著 ブッダ 最期のことば 第3回「諸行無常を姿で示す」
100分de名著 ブッダ 最期のことば 第4回「弟子たちへの遺言」(最終回)