久しぶりに心理学の本を読んだ。
鈴木光太郎「オオカミ少女はいなかった」、である。
心理学の教科書に古典的研究として載っているメジャーなトピックについて、
その真偽を問うている珍しい本である。
▼単行本(新曜社2008)
オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険
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著者は副題の「神話」という言葉について、
文化人類学者ドナルド・ブラウンが
「否定されているのに既成事実として何度もよみがえる人類学の話や考え」
を比喩的に「神話」と呼んでいるのにならったと言っている。
章立ては以下の通りである。
心理学専攻の学生であれば、
どれもだいたい見当がつくような有名どころの話ばかりである。
1章 オオカミ少女はいなかった
――アマラとカマラの物語
2章 まぼろしのサブリミナル
――マスメディアが作り出した神話
3章 3色の虹?
――言語・文化相対仮説をめぐる問題
4章 バートのデータ捏造事件
――そしてふたごをめぐるミステリー
5章 なぜ母親は赤ちゃんを左胸で抱くか
――ソークの説をめぐる問題
6章 実験者が結果を作り出す
――クレヴァー・ハンスとニム・チンプスキー
7章 プラナリアの学習実験
――記憶物質とマコーネルをめぐる事件
8章 ワトソンとアルバート坊や
――恐怖条件づけとワトソンの育児書
終章 心理学の歴史は短いか
――心理学のウサン臭さを消すために
こうした話の問題の一つは著者が指摘しているように、
全てがウソではないという点にある。
野生児の記録は詳細に残っている事例もあるし、
サブリミナル効果も特定の条件下では確認されている。
プラナリアは確かに学習するし、恐怖条件づけも存在する。
これがどうしてウサン臭い話になってしまうのか、
この点について書かれているのが、
「終章 心理学の歴史は短いか」である。
その理由として著者は特に、
「教科書や教師の問題」と「マスメディアの問題」を挙げている。
「教科書や教師の問題」というのは、
教科書の書き手が(しばしば原典を確認せずに)
正確さよりも面白さを優先した内容にしてしまうということである。
「マスメディアの問題」というのは、
こうした未確認であったり不正確であったり憶測が含まれるような内容を、
マスメディアが既成事実のように報道して大衆に広めてしまうということである。
こうした問題について、
科学的心理学を堅固なものとしていくには、
論理的に考えてしっかりと裏づけを取ることしかないと言っている。
終章のタイトルは「心理学の歴史は短いか」となっている。
これは「心理学の過去は長いが、歴史は短い」という、
有名な心理学者エビングハウスの言葉に対する問いかけである。
エビングハウスの言葉は、
心の問題については遠い昔から考察がされてきたが、
学問として成立したのは最近のことだという意味である。
エビングハウスがこの言葉を書いたのは1908年のことであり、
それから100年以上が過ぎた今では歴史が浅いとは言えないだろう、
というのが著者の言わんとするところである。
エビングハウスのこの引用を次に目にしたら、
どの時点においてかということについて、
どう書かれているかしっかりと確認したいと思う。
最後に驚いたことを一つ書いておきたい。
増補版の文庫があったので、こちらもバナーを張ったのだが、
副題が「心理学の神話をめぐる冒険」から「スキャンダラスな心理学」に変わっていた。
「心理学の神話」という表現よりもわかりやすいとは思うが、
もう少しなんとかならなかったものだろうか……
▼増補の文庫版(ちくま文庫2015)