俺たちの本棚 

俺たちの本棚 

俺たちは日々いろんなことを学ぶ。出来事から、本から、雑誌から、新聞から、テレビから。
「俺たちの本棚」にはそんな日々の学びが「本」として並んでいます。

どうぞ立ち止まって眺めてみてください。きっと好きな本が見つかりますよ。

キノウより1more。何か皆さんの気づきになればと思います。

Amebaでブログを始めよう!
大阪桜宮高校や柔道日本代表をはじめとした体罰問題。
本当に悲しいですね。

私は、「体罰には断固反対」です。

彼らの指導の中には素晴らしい点もあるでしょうし、
もしかすると95%の部分は素晴らしいのかもしれません。

だから、あくまで指導全体の中での「体罰」の部分に反対です。


理由は、
①暴力は原則犯罪行為
②目的達成のためにもっと有効な方法があるはず

と考えるからです。


①は当たり前の真ん中。

②は指導者の怠慢と思う。

ひと昔前の時代であれば、指導方法についての研究が進んでおらず
限られた選択肢の中で「体罰」を選択することが目的達成の為に有効だったのかもしれない。

しかし、この時代においてはどのような指導をすれば
最も生徒・選手の能力を引き出してあげることができるかについては研究が進んでいる。

本屋に行けば、マネジメントの本は溢れているし、
世界で成果を出している指導者に学ぶことができる。

もし、それらを全て学んだ上で「体罰」が有効と選択したのならば
まだ酌量の余地はあるかもしれない。

しかし、おそらくはそうではないと思う。

先日の記事で、「三角形のリーダーはこれからの時代には合わない」と紹介した。
三角形のリーダーとは「これまで築いてきたものに頼り、環境の変化に適応し新しいものを生み出すことができないリーダー」を指す。

問題になっている指導者達は「三角形のリーダー」なのだ。

環境の変化を感じ取り、謙虚に新しい方法を学び、過去の自分のやり方を
柔軟に変えていく、ということができていないのかもしれない。
(全てを知っているわけではないので断定はしませんが。)

安易に「体罰」という選択肢に走らず、謙虚にあらゆるマネジメントを学んだ上で
相手にとって最良の指導方法を選択することができる指導者が増えることを切に願います。

自分もそのような指導者になっていきたい。




一橋大学院国際企業戦略研究科教授の楠木さんの記事。
いろいろと考えさせられるなー

http://toyokeizai.net/articles/-/12735

正直言うと、楠木さんのことは初めて知りました。
ベストセラーとなった「ストーリーとしての競争戦略」の著者のよう。


簡単にまとめるとこういうことを言っています。

新世代で必要とされるリーダーは従来の「三角形のリーダー」ではなく「矢印のリーダー」だ。

筆者が言う「三角形のリーダー」とは、私の解釈だと「今まで築き上げたもの(ビジネスモデル・戦略・スキル・人材など)を拠り所にしているリーダー」で「環境の変化に柔軟に対応できないリーダー」と思う。

右肩上がりの成長時代には通用したが、成長が止まり環境が激しく変動する今の時代では通用しない。

一方で「矢印のリーダー」は「0から商売の基や戦略ストーリーを創れるリーダー」で「激しい環境変化にあっても、柔軟にあるべき方向に導くことができるリーダー」なのだろう。


「矢印のリーダー」になるには「好きなこと」を仕事にすべき

---------
事業を創るのは、ものすごく大変な仕事なので、何か人とは違うめちゃくちゃ得意なことがないとダメだ。単に法律の知識があるとか、ファイナンスがわかるとか、企業の現在価値を素早く計算できるとか、そうした定型的なスキルを超えた特別な能力が必要になる。

そうした能力をつけるには、すさまじい努力が必要になるが、好きでないとそこまでの努力はできない。(引用)
---------

確かに世の中の一流と言われる人は、すべからく「好きなこと」を仕事にしている。
それも早い段階で「自分の好きなこと」に気付くことができている。

天才とは「好きなことを早い段階で見つけ、好き故に努力を惜しまず継続させられる人」なんだと思う。

好きを仕事にしているからといって必ずしも「矢印のリーダー」になることができるとは限らないが、主要な要件の一つなのは間違いない。


好きなことを仕事にするには「好き嫌いを抽象化」し自分をより理解する必要がある

---------
「自分の好き嫌いがわかっている」→「好きなことと現実の仕事に折り合いをつけられる」→「好きな仕事だから、努力が努力でなくなる」→「人から見ると努力だけど、苦でなく努力できる」→「すごく上手になる」→「仕事ができる」。私はこの因果の論理がキャリアなり仕事の大黒柱になると思っている。出発点はあくまでも好き嫌いだ。(引用)
---------


就活時代のことを思い出した。

特にやりたいことなんてなかった。
(本当は教育者になりたかったけど、可能性が狭まるのが怖くて進めなかった)
他に好きなことなんて分からなかった。

でも進むべき進路を決めなければならなかった。

ただ、苦しかったなー

でもその時、分からんなりに自己分析をして「好き嫌いの抽象化」を徹底してやった記憶がある。
なぜ?なぜ?を繰り返して。

なぜ教育者になりたいのか→他人の人生に深く関わり大きな影響を与えたい→教育でなくてもできないか?→再開発の仕事って地主の方々の人生に深く関わり、問題解決してあげることで大きな影響を与えられるのではないか?

それで、おぼろげながらも今の進路に向かうことができた。
完璧な選択ではなかったかもしれないが、著者の言う「好きな事と現実の仕事の折り合いをつけた」

会社に入ってからは好きかどうかは置いておいて
がむしゃらに働いた。

いつの間にか仕事が好きになっていた。

----------------------------------------------------------------

日々の仕事に追われていると
「それは自分が本当に好きな仕事なのかを考える」とか
「好き嫌いを抽象化してもっと自分を知る事」をやっている余裕がない。


でも、楠木さんの言う通り
本当のリーダーを目指すべきならば
「好きな事をすべきであり」「好きなことを理解するために、好き嫌いを抽象化する」ことが重要だ。

言うは易しで、それはとっっても難しいことなのだけど。

やはり、教育に関わりたい、という気持ちは少しずつ大きくなっている。


東京に初雪が降った。

子供がはしゃぐ声が聞こえる。
街を歩けば雪だるまが微笑みかけてくる。

子供にとっては、雪は自然が与えてくれた最高のおもちゃだ。
道路に雪だるまを作ってほったらかしにしていても片付けが全くいらない。
彼らはいつの間にか勝手に姿を消している。

寂しくもあるが。


大人にとっては、雪はどんな存在だろうか?
いつからだろう?
同じ雪を見ても感動を覚えなくなったのは。
歩きづらいことを嫌と思い始めたのは。



晴天時に花びらが舞うようにちらつく雪のことを「風花」と言う。
粋な言葉だ。
風花を見たら、大人でもきっと感嘆する。

でも雪自身にしてみれば居心地が悪いのかも知れない。
本来は悪天候にいるべき自分が晴天に迷い込んだわけだから。


この「64」は
「夕闇に風花が舞っていた。」
という書き出しでスタートする。


秀逸な書き出しだな、と感嘆した。

なぜ秀逸かというと、この本のあらすじを
この短い文章で本当に見事に表していると思ったからだ。


------
警察組織内では「在籍することで前科がつく」と言われるほど
評価の低い広報室。

三上は若い頃に一度広報室を体験し、前科1犯だが、
その後刑事部で長年活躍していた。

しかし、再び広報室行きを命じられる。

世間からすると警察というのは「闇」とも言えるほど
内部が窺い知れない存在だ。
広報室はこの「闇」に対して、「窓」となりほんの少しだけ
明かりを照らし世間から伺い知れるようにする役割がある。

つまり、闇に入るちょっと前のほんの少しだけ明るい「夕闇」のような状態にする。


三上は長年の活躍から刑事部に本籍があると自負していて、
広報部は本来の場所ではないと思っている。

これは、風花が晴天時に舞う雪と言われるように
場違いな状態を示している。
本来は天気が悪い状態のところにいるべき雪が
天気が良いところに迷い込んでしまっている。
三上にとっては本来は刑事部にいるべきと思っているが、広報室にいる
居心地の悪さを表しているのではないか。


そして、三上は
情報を極力出したくない警察内部の思惑と
情報をなるべく開示させようとするマスコミとの間で
「舞う」(踊らされる)ことになる。

これを「夕闇に風花が舞っていた」と書き出しで表現したのではないか。
-----

お見事としか言いようがない。
こんな小説をいずれ書いてみたい。

この書き出しから始まるこの小説、その後の内容の質は推して量るべしだ。

今やっている仕事に不満があったり、
本来自分はそこにいるはずではないと思っている人に対して
「目の前の仕事に不満があろうが、覚悟を決めてど真剣にやってみると道が開けること」を伝えてくれる。

この1年でベストの小説だった。