牛頭天王がおられます 茨城県結城市 健田須賀神社 | 未知の駅 總フサ

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千葉県=東国は蘇我氏に縁の地であったという痕跡を探し、伝承・神社・古墳など諸々を調べています。

百嶋神社考古学にご興味を持たれた方はブックマークの「新ひぼろぎ逍遥」さんを訪ねてみてください。

今回は下総国の式内社として延喜式に名を残している

コチラの神社!

 

健田須賀神社

茨城県結城市結城195

 

道路に面してありました

御手水

二の鳥居

拝殿

内陣

扁額

本殿を左から

背後です

右から

 

この健田須賀神社は、二つの神社が合祀されていて

元々は健田神社と須賀神社のそれぞれ独立した神社でした。

境内にあった案内板によれば

 

明治3(1870)年に、健田神社と現在地にある須賀神社が合祀されました。

健田神社は、古代より市内健田の地に建てられた延喜式内社で『日本書紀』において東国地方を平定したとされる竹田臣の祖、武淳河別命を祀っています。

須賀神社は、牛頭天王ともいい、疫病を払う神・須佐之男命を祀り、結城家初代朝光公により創建されたと伝えられ、歴代城主の崇敬篤く、七代直朝公が定めた結城七社では、中心的神社として社地等の寄進がありました。

 

実はこの前にあちこち廻っていて、ここの後も時間ギリギリ間に合いそうだったので行きたい場所があったんですよ。

なので写真だけでもと思って急いで参拝してたんですね。

焦りながら拝殿で取材させてくださいとお伝えしてから

バシバシ写真撮って、本殿ぐるっとまわってほぼ取ったから

帰ろうかな、と思ったら声がしてきたんですよ。

 

願わなくていいのか?

 

って。

すぐに「あ、牛頭天王だ!」と感じたんです。

で、いやちょっと時間が無くてですね、あの、また次回ゆっくり来た時にお願い事は~、とか言ってたんですけど、今願えば叶えてやるみたいな流れになったんだったかなぁ。

ちょっと記憶が曖昧なのですが「えー!?時間がぁー!!」と焦りつつも、何度も聞かれたので、そうだ!と思いついたのが、この神社の事を記事にしてUPしたらバズらせてください!とお願いしたんですよ。

記事がたくさんの方に読まれたら私は嬉しいし、その記事を読んでこちらに多くの人が参拝にくるようになったらお互いにWIN-WINじゃないですか!と提案したんです。そしたら「神を相手に商売するか!」って大爆笑されたんですけど、お気に召したみたいだったので、今回ホントにバズったら実現するのですが取材に行ったのは昨年の5月だったので時効になってるかも(笑)

 

実際のところ、ホントにすんごいお力の強い牛頭天王さんだったので、一生懸命お話すれば叶えてくださると思います。

 

私の場合は「取材させてください」と変の事言って、願いも言わずにバシバシ写真撮ってウロウロして帰ろうとしてるので気になったのかなぁと。

いやぁだって結城市いったらコチラに行ってコレをみなくちゃでしょー!

 

結城蔵美館

茨城県結城市結城1330

 

こちらには天下三名槍の一つ

御手杵のレプリカがあるのです!

 

家族の姿がはいってしまってたので黒で消しました

この特殊な形のモノが鞘なのです

立派な穂先

 

御手杵と日本号と蜻蛉切で三名槍。御手杵は鞘を取ると雪が降るという伝承があったそうです。

東京大空襲の際、土に埋めようとしたらしいのですが、旧家臣の老人達が家宝を土に埋めるだなんて言語道断と蔵にしまわせたそうです。それが仇となって焼失。

どんな時も柔らか頭でいないといけないですね。

 

 

さて、最後に境内社です。

 

十二社

牛頭天王・住吉大明神・大桑大明神・高橋大明神・八幡宮・大神宮・鷲宮大明神・香取神社・松尾神社・羽黒神社・三峯神社・白峯神社・足尾神社

 

甲子大黒天

猿田彦命大神

 

まだまだ取材に行って記事にしていない神社

たんまりありますので(汗)

アウトプットがんばります!