東国満珠干珠伝説 その8 三之宮神社 睦沢町北山田 | 未知の駅 總フサ

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千葉県=東国は蘇我氏に縁の地であったという痕跡を探し、伝承・神社・古墳など諸々を調べています。

百嶋神社考古学にご興味を持たれた方はブックマークの「新ひぼろぎ逍遥」さんを訪ねてみてください。

今回はこちらの神社の御紹介です。

 

三之宮神社

長生郡睦沢町北山田字宮ノ台360

 

神社の側は大柳館址という史跡があります

道路に石柱 「郷社 三之宮神社」と刻まれてました

細い道路を上がっていくと

道路沿いにありました

石段の脇に道祖神の石祠

階段を登ると鳥居です

拝殿

初めて見るタイプの注連縄

拝殿のうしろに本殿

本殿を左から

背後

右から

扁額

奥に随身が見えます

上部の真ん中に掛かっている写真はおそらく明治天皇

 

 

 

「千葉県神社名鑑」によれば、御祭神は五瀬命・稲飯命・三毛入野命の三柱。

上総十二社祭のひとつで、9月11日に御漱祭があります。

 

御由緒は

 

古くは三之宮福大権現と称した。社伝によると「嘉祥庚午年(850)正月13日、勝重夢に竜神来りて、我豊玉姫にて稲飯命、三毛入野命の二神、百王万民のため身を海に投じ、天神に祈願し、其の効顕われ倭の国平定、然るに二神東風に随て太東崎に漂着するを以つて迎へ奉る可しと、勝重早朝至り見れば光る三顆の玉あり、是神霊ならむと塩垢離にて清め、磯草を手に敷き救ひ上げ、北山田の里に社地を見立て三神を奉祀し、嘉祥3庚午年8月13日勧請」したという。

 

 

当神社の社伝では勝重という人物が夢のお告げで玉を3つ発見し、それを祀ったことになっています。

勝重さんの名前が社伝に伝わっていることから、玉の奉斎をしていた宮司さんの御先祖なのではないかと思えます。

3つの玉は三神=豊玉姫・稲飯命・三毛入野命を顕しているのだと思うのですが、なんでか現在の御祭神に豊玉姫はおらず、五瀬命が入っております。

 

何故豊玉姫から五瀬命にチェンジしてしまったのでしょうか?

記紀だと五瀬命と稲飯命・三毛入野命は兄弟です。

前回ご紹介した玉垣神社の御祭神は神武天皇になっています。

これらの現状から見るに、「記紀になぞらえたかった」という感じを受けます。というか、記紀にしとけば問題ないだろ的な感もありますね。

 

前記事で書きましたが玉垣神社の御祭神は神武天皇ではありません。一之宮である玉前神社の御祭神もいろいろな説があります。

おそらく後年入ってきた別の人達が社の神様を無視して記紀の神様を被せてしまったのではないかなー、と思います。

 

ちなみにスピ友と行った時に取材させていただけたのは三毛入野さんでした。雑談の中で三毛入野さんに「崇神天皇の部下だったんですよね?」と聞いたら「部下ではない」と言ってました。

 

私「じゃあ同じ一族だったとかですか?」

三毛「うーん、まぁそんな感じかなぁ」

私「大陸の方からきたんですよね」

三毛「そうだね」

私「船で来るの大変でしたか?」

三毛「いや、その頃は陸が繋がっていたから」

 

私「え?」

 

という会話がありました。

(ちなみにスピ友に私が話した事の返答を聞いてもらうという形の取材になっております)

いま思えば同族ではなく同志ですか?と聞けばよかったぜ!

三毛入野さんはとてもフランクな方で、他にも五瀬命と稲飯命のことを聞きましたが、二人は今はいないそうで三毛入野さんだけだと言ってました。

でも三毛入野さんが五瀬命に関して「いまはいない」と言っていたということは、昔はいた=昔から祀られていたとも考えられます。

五瀬命と関係あるのか不明ですが東金市に「五十瀬イソセ神社」が幾つかあります。御祭神はすべて天照大神なのですが、社号がイツセとも読める事からすると、なんらかの関係があるのではないかと思います。

 

ここで気になる情報が。

Wikipediaの睦沢町北山田の記事には

 

同社はもとは大谷木村にあったが、宝治合戦の後当村に移転したという(睦沢村故事漫録)

 

とあります。

調べてみたところ、宝治合戦とは1247年に起きた戦で、北条氏によって三浦氏が滅ぼされた鎌倉幕府の内乱だそうです。

この時、指揮を執っていた三浦泰村・光村兄弟と与党500人あまりが自刃したそうです。

そして当地の大柳館に拠っていた泰村の娘婿・千葉秀胤にも追討命令が出て、一族郎党163名とともに自害したといいます。

 

もし、本当に元は隣りの大字である大谷木にあったとするならば、遷座の理由は鎮魂以外ないでしょう。

ちなみに当神社の周辺を「千葉県埋蔵文化財分布地図(3)」で見てみると下の画像になります。

 

青い丸の中が三之宮神社の鎮座地周辺

 

上の青丸の中にある文化財を番号順に説明すると、

 

12番 北山田富士ノ下横穴群 横穴墓3基

13番 富貴楽古墳群 前方後円墳2基、円墳3基

14番 大柳館跡 城跡

98番 北山田遺跡 包蔵地 弥生中期~平安

 

となっています。

 

遷座していないとすれば、鎮座地付近に古墳もありますし「千葉県の古社」としての条件をクリアしているんですよね。

元々ここにあったんじゃないのかなぁ~、遷座したのかなぁ~???

 

今度また取材に行けたら三毛入野さんに聞いてみようと思います。

 

最後に境内社などのご紹介。

 

出羽三山神社の石碑

神輿庫?

こちらは

八坂神社

こちらは

熊野大神

かなり日が傾いてました

奥の境内社は不明ですが、千葉県神社名鑑によれば境内神社に

八重垣神社(建須佐乃男命)

愛宕神社(訶具突智命)

塞神社(八衢比古命、八衢比女命、久那戸神)

北野神社(菅公)

大杉神社(大物主命)

浅間神社(木花咲耶姫命)

があることになってます

境内から鳥居方向を見た感じ

鳥居の向こう側が大柳館址になります

趣のある風景

 

 

しかし上総十二社は複雑ですねぇ。

何を隠しているんだか、まったくわかりませんが、いろんな要因が重なっているんだなぁとは思います。

まだまだ続くシリーズなので、よろしくお願いします。