大原神社調査№2はこちらです。
大原神社ダイバラジンジャ
流山市平和台4-1650-1
当地は旧住所だと流山町西平井字大原となります。
字名が「大原」ということは、かなり古くから鎮座していたと思うのですが、神社の入口にあった看板には下記の通り。
『大原神社だいばらじんじゃ
江戸時代初期創建の旧西平井村の氏神。祭神は大原権現。明治42年(1909)七郎神社を合祀。境内には青面金剛像が刻まれた庚申塔などの石造物や保存樹木のスギなどがある。』
看板には御祭神が大原権現とありました。
明治15年作成の「千葉県神社明細帳」には「不詳」と記載があります。
昭和62年発行の「千葉県神社名鑑」には「瀬織津比咩命・速開津比咩命・氣吹戸主命・速佐須良比咩命」とあります。
おそらく瀬織津比咩命以下3柱の方達は明治42年に合祀された七郎神社の御祭神だったのではないでしょうか。
千葉県内の神社調査をしていると、本体となる神社の御祭神が不明だった場合、後から合祀した神社の御祭神をメインに持ってくるという不思議な作戦が実行されております。不明のままでは格好がつかないからでしょうね。わかるんですけども、止めてほしい。
そうなると大原権現が御祭神名ではないかと考えられますが、こちらも江戸時代の神社名であっただけで真の御祭神のお名前ではないと思います。
しかし、一つだけ確実なことが。
本殿を見てみると・・・
フルール・ド・リスですよ!
君津の大原神社同様、こちらも女神さまですね。
社地は急な坂道の途中にあり、これだけの高低差があります。
画像は江戸川方面を写したものですが、往古は江戸川低地は水面下となっておりました。
【Flood Maps にて7m海面上昇した場合】
ですから高台に鎮座している神社であることは、その土地が縄文海進時から何らかの特別な地として活用されていたという証拠でもあります。
また地図で見ると平和台は下のように岬になります。
古代の航海では平和台の北部・三輪野山にある集落に行くための陸路の目印となったと考えられます。
しかも当神社は北を拝する向き「北拝」なのです。
これまで県内のあちこちで神社を見てきましたが、北拝の神社は特別な意味のある神社だと考えています。妙見神を奉斎していないのに北拝している当神社は一体どんな秘密を隠しているのですかね。
以下境内にあった石仏や石碑・石祠です。
庚申塔たち
青面金剛さまたち
ひぃぃっ!!ここにも成田山のお不動様がいるっ!!
コワイヨー!本当に成田山のお不動様は苦手です。
山神宮と●●宮
●●宮と●十二神
阿夫利神社
山神社と青面金剛
冨士嶽浅間大神
当地周辺は非常に開発が進み新興住宅地となっております。
きっと開発時に周辺の石碑が大原神社に集められたのだと思いますが、稲荷社がひとつもない神社は初めてです(もしかしたら摩耗してしまっている中にあるのかもしれませんが)
流山まできたので、ずっと行きたかった赤城神社にも寄ったのですが、それは大原神社調査報告が終わってからにしますね。
お楽しみに!