香取市カトリの地名由来 | 未知の駅 總フサ

未知の駅 總フサ

千葉県=東国は蘇我氏に縁の地であったという痕跡を探し、伝承・神社・古墳など諸々を調べています。

百嶋神社考古学にご興味を持たれた方はブックマークの「新ひぼろぎ逍遥」さんを訪ねてみてください。

平成18年(2006)に香取郡小見川町・香取郡栗源町・香取郡山田町・佐原市が合併して成立。
市名は当地に鎮座する香取神宮にちなむか、または郡名に因るか。「かとり」の意味については「かじとり(檝取・楫取・梶取)」による説、縑織(かたおり)など縑(かとりぎぬ)による説、葛を採る葛取による説、神集(かんづまり)にちなむ説、経津主命が邪神を平定したことにちなむ勝取説、鹿狩りによる鹿取説、神鳥(かんとり)説など諸説ある。「かと(崖・自然堤防)・り(接尾語)」、「か(接頭語)・とり(崖・自然堤防)」で崖地という意味か、または「かけ(欠)・とり(取)」で崩壊地を指したものか。
小見川町は「お(高くなった所)・み(接尾語)・かわ(川)」で高い所から流れてくる川という意味。
栗源町は栗山川の源流にあたることにちなむ。
山田町は合併した府馬村・八都村・山倉村の村名を踏まえ、旧村名を連想させる名称となったという。
佐原市は「さ(美称)・はら(原)」で広い平らな土地を指したものか、または「さわ(沢)・ら(土地)」で沼沢地という意味か。
特色:平安期や南北朝期など、古くから残る地名が多い。


【あ行】
●阿玉川あたまがわ
元小見川町。江戸期は阿玉川村。地名は平安期にあった編玉郷の遺称という。「あた(川の岸辺)・ま(場所を示す接尾語)」で川端の地という意味。

●阿玉台あたまだい
元小見川町。江戸期は阿玉台村。地名については上記を参照。

●油田あぶらた
元小見川町。江戸期は油田村。地名は香取神宮の灯油料所であったことによるという説がある。「あぶ(剥げ崩れる急傾斜地)・ら(土地)・た(処)」で過去に地辷りなどの自然災害のあった地という意味。

●荒北あらきた
元栗源町。江戸期は荒北村。地名は「あら(崖)・けた(桁)」の転訛で崖が崩れた所という意味か。または「あらき(新墾)・た(処)」で開墾地という意味か。

●飯島いいじま
元佐原市。江戸期は飯島村。地名は「うえ(上)・しま(集落)」の転訛で微高地の集落を指したもの。

●和泉いずみ
元小見川町。江戸期は和泉村。地名は東方の現東庄町平山との境にあった湧泉にちなむ。

●磯山いそやま
元佐原市。江戸期は磯山村。地名は「いそ(岩が多く露出した所)・やま(山)」で岩が多く露出した微高地という意味。

●一ノ分目いちのわけめ
元小見川町。江戸期は一ノ分目村。地名は新田開発に伴う地割に関係するものと思われる。

●伊地山いちやま
元佐原市。江戸期は伊地山村。地名は「いつ(厳)・やま(山)」の転訛で険しい山という意味。

●市和田いちわだ
元佐原市。昭和20年頃(1945)に起立。与田浦と常陸利根川間の砂州の内に残された水域を干拓して成立。地名は当地を市和田浦と称したことにちなむ。

●入会地いりあいち
元小見川町。成立年代不詳。もと原野の開墾により形成された新地区。地名は近隣村々の入会地であったことによるか。

●岩ヶ崎台いわがさきだい
元佐原市。成立年代不詳。岩崎とも書く。地名は香取郡磯田郷の遺称とする説、岩の多い丘陵の先端を指したものとする説がある。近年宅地開発が進み、それに伴い「台」が付けられたか。

●岩部いわべ
元栗源町。南北朝期は岩部郷、江戸期は岩部村。地名は「いわ(岩)・べ(辺)」で岩のある地の付近を指したもの。または古代に香取神官職司祝部が居住したことにちなむか。

●内野うちの
元小見川町。江戸期は内野村。地名は「うち(打ち)・の(野)」で降雨により浸食された台地の傾斜地を指したもの。

●扇島おうぎしま
元佐原市。江戸期は扇島村。古くは扇子島とも書く。地名は利根川下流に形成された三角州の北部、与田浦と常陸利根川に南北をはさまれて延びる自然堤防上に位置する地形によるか。別称「十三枚」は開拓当時一門銭13枚ずつを出し合い祝をしたことによるという。

●大倉おおくら
元佐原市。平安期は大倉郷、南北朝期は大倉村、江戸期も同じ。地名は官倉の所在地による説、香取神宮の倉の所在地に由来するとの説などがある。「おお(美称)・くら(浸食地形)」で利根川による浸食を意味したもの。

●大倉丁子おおくらようろご
元佐原市。昭和30年(1955)に起立。もと大倉村丁子新田。地名は香取神宮祭に御輿舁丁(みこしかきちょう・御輿を担ぐ人)を出すことにちなむという。「大倉」については上記を参照。

●大崎おおさき
元佐原市。南北朝期は大崎村、江戸期も同じ。地名は「おお(美称)・さき(岬)」で突き出した山の先端という意味。

●大島おおしま
元佐原市。江戸期は大島村。地名は「おお(美称)・しま(砂洲)」で利根川下流に形成された三角州の北端に位置することにちなむ。

●大戸おおと
元佐原市。平安末期は大戸荘、江戸期は大戸村。地名は「おお(美称)・つ(津)」の転訛で船着場という意味との説があるが、峡谷の深い山峡への入口に付けられるものとも考えられる。

●大角おおとがり
元山田町。江戸期は大角村。地名は「おお(美称)・とぎ(浸食地形)・り(接尾語)」で降水による浸食地形を指したもの。

●大戸川おおとがわ
元佐原市。室町期は大戸河の地名があった、江戸期は大戸川村。地名は「おおと(大戸)・がわ(側)」で大戸の側という意味。

●大戸新田おおとしんでん
元佐原市。明治22年(1889)に起立。もとは江戸期に旧大須賀川下流右岸に開発された大戸村の新田で地名はそれにちなむ。

●大根おおね
元佐原市。中世には相根・青根とも書いた。江戸期は大根村。地名は「あお(湿地)・ね(根)」の転訛で山麓の湿地という意味。

●岡飯田おかいいだ
元小見川町。上飯田とも。江戸期は岡飯田村。地名は下飯田に対し山の方にあったことから岡飯田と呼ばれたものと考えられている。「うえ(上)・だ(処)」の転訛で高くなっている所という意味。

●小川おがわ
元山田町。江戸期は小川村。地名は「お(接頭語)・かわ(川)」で川沿いの地という意味。

●小見おみ
元山田町。平安期は麻続郷(おみのごう)、平安末期は小見郷、江戸期は小見村。地名は「お(高くなった所)・み(接尾語)」で高所という意味。

●小見川おみがわ
元小見川町。南北朝期は小見川の地名があった、江戸期は小見川村。地名は「お(高くなった所)・み(接尾語)・かわ(川)」で高い所から流れてくる川という意味。

●織幡おりはた
元小見川町。平安後期は織機村、江戸期は折幡村。地名の由来は織機説、木障畑(おりはた)説などがある。「おり(降)・はた(傍)」で崖の崩れた川沿いの地という意味。

【か行】
●貝塚かいづか
元小見川町。江戸期は貝塚村。地名は国指定史跡となっている良文貝塚の存在にちなむ。

●片野かたの
元佐原市。室町期に片野の地名があった、江戸期は片野村。地名は「かた(潟)・の(野)」で干潟にある山裾の傾斜地という意味。

●加藤洲かとうず
元佐原市。加藤須とも書く。江戸期は加藤洲村。地名は開墾者の名を採った砂洲か。または「かと(崖)・ふ(~になっている所)・す」の転訛で崖地の側の砂州を指したものか。

●香取かとり
元佐原市。平安期は香取郷、平安末期は香取村、江戸期も同じ。地名の由来は「かじとり(檝取・楫取・梶取)」による説、縑織(かたおり)など縑(かとりぎぬ)による説、葛を採る葛取による説、神集(かんづまり)にちなむ説、経津主命が邪神を平定したことにちなむ勝取説、鹿狩りによる鹿取説、神鳥(かんとり)説など諸説ある。または「かと(崖・自然堤防)・り(接尾語)」「か(接頭語)・とり(崖・自然堤防)」で崖地の称とも、「かけ(欠)・とり(取)」で崩壊地をいったものか。

●釜塚かまづか
元佐原市。江戸期は釜塚村。地名は釜塚にちなむ。同塚は往古脇高(側高)神が陸奥より捕えてきた馬千疋に与えた粥を煮た釜を埋めた所と伝え、不浄を嫌う禁忌を持つ。

●上小川かみおがわ
元佐原市。江戸期は上小川村。地名は古代の小川郷の遺称地と推定されている。「お(接頭語)・かわ(川)」で川沿いの地という意味。

●上小堀かみこぼり
元小見川町。江戸期は上小堀村。地名は北方の利根川沿岸の下小堀とともに木ノ内城隍(ほり)の名残とする説がある。「小堀」で浸食された丘陵を指したものか。

●返田かやだ
元佐原市。「かえた」とも。鎌倉期は返田村、江戸期も同じ。地名は「かや(崩壊地形)・た(処)」で過去に地辷りなどによる崩壊地を指したもの。

●苅毛かりけ
元栗源町。江戸期は苅毛村。地名は「かり(崩壊地)・け(処)」で刈り取ったような崖のある地という意味。

●川頭かわがしら
元小見川町。江戸期は川頭村。地名は「かわ(川)・かしわ(傾)」の転訛で黒部川沿いの傾斜地という意味。

●川上かわかみ
元山田町。室町期に河上の地名があった、江戸期は川上村。地名は黒部川支流の上流部に位置することにちなむ。

●川尻かわじり
元佐原市。江戸期は川尻村。地名は川端という意味。

●観音かんのう
元佐原市。南北朝期は観音村、江戸期も同じ。地名は聖観世音を本尊とする真言宗観音院(廃寺)の所在によるという。「かむ(噛む)・の(野)・う(生)」で浸食された山麓沿いの傾斜している所という意味。

●神生かんのう
元山田町。神尾とも。江戸期は神生村。地名は加納あるいは神野の転訛という。「かむ(噛む)・の(野)・う(~になっているところ)」で浸食された山麓沿いの傾斜している所という意味。

●北きた
元佐原市。成立年代不詳。おそらく佐原イから独立して成立したものと思われる。地名は佐原駅の北側に位置することからか。

●北原地新田きたはらちしんでん
元小見川町。江戸期は北原地新田村。江戸中期に新田開発が始められ寛保3年(1743)小見川村名主・岡野新八が開発を請負い、小見川原地新田平野村(のちの北原地新田)、小見川原地新田平岡村(のちの南原地新田)を開いた。地名は小見川村からみて北にある原野を開発した所という意味。

●木内きのうち
元小見川町。木之内とも書く。奈良期は城内郷(城上郷とも)、平安後期は木内郷、鎌倉期は木内荘、江戸期は木之内村。地名は「城上」ならば「き(接頭語)・のへ(野辺)」で山麓の傾斜地という意味。「城内」ならば「き(接頭語)・ふち(縁)」の転訛で崖沿い、または川沿いの地という意味。

●木内虫幡上小堀入会地きのうちむしはたかみこぼりいりあいち
元小見川町。成立年代不詳。地名の「木内」「虫幡」「上小堀」はそれぞれの項を参照。

●木内虫幡上小堀入会地大平きのうちむしはたかみこぼりいりあいちおおだいら
元小見川町。成立年代不詳。三区入会地ともいう。「おお(美称)・ひら(崖)」で崖地という意味。「木内」「虫幡」「上小堀」はそれぞれの項を参照。

●桐谷きりざく
元山田町。江戸期は桐谷村。地名は「きり(切)・さく(狭処)」で山間の谷間を指したもの。

●久保くぼ
元小見川町。明治初期(1868)に久保村として起立。もとは阿玉久保村。地名は中世の阿玉郷を丘陵地(台)と低地(窪)に分けたことによる。

●九美上くみあげ
元佐原市。江戸期は油田牧のうち、明治9年(1876)に九美上村が起立。地名は明治初年(1868)に開墾・入植の際に名付けられた新地名の一つで「九」は9番目を意味する。

●笄島こうがいじま
元佐原市。明治22年(1889)に起立。笄洲とも書く。利根川の中州を開墾した新開発地であり、地名の由来は不詳。

●公官洲こうかんず
元佐原市。公官洲ともいう。江戸期は公官洲新田。承応2年(1653)上戸村出身(現茨城県潮来市牛堀)の七郎兵衛が起立したと伝える境島村の新田。地名の由来は不詳。

●高野こうや
元山田町。江戸期は高野村。地名は「こうや(荒野)」で荒野を開墾した地という意味か、または「たき(高)や(湿地)」の転訛で傾斜した湿地という意味か。

●石納こくのう
元佐原市。江戸期は石納村。地名は石代納(年貢を米で納める代わりに貨幣で納めること)にちなむか。利根川の流路変更により分断された村域の一部は茨城県稲敷市石納となる。

●五郷内ごごううち
元小見川町。江戸期は五郷内村。地名は阿玉郷5村の中心部であったことによる。

●米野井こめのい
元山田町。米之井とも書く。江戸期は米之井村。地名は「こま(疲労する)・の(接続詞)・い(井)」の転訛で川沿いの崩壊地を指したもの。

【さ行】
●境島さかいじま
元佐原市。古くは坂井島・堺島とも書く。江戸期は境島村。地名は常陸と下総の国境に関係するものと思われる。

●沢さわ
元栗源町。戦国期に沢の地名があった、江戸期は沢村。地名は沢に由来する。

●佐原さわら
元佐原市。鎌倉期は佐原村、江戸期も同じ。地名は香取神宮の祭祀用土器の浅腹(あさはら)製作地にちなむとする説、原・笹原・砂原・洲原・狭原など旧香取海の陸化に伴う地勢の景況によるとする説がある。「さ(美称)・はら(原)」で広い平らな土地を指したものか、または「さわ(沢)・ら(土地)」で沼沢地という意味か。

●三ノ分目さんのわけめ
元小見川町。江戸期は三之分目村。地名は新田化に伴う地割に関係するものと思われる。

●志高しだか
元山田町。南北朝期は志高村、江戸期も同じ。地名は「した(垂)・か(処)」で崩壊地という意味。

●篠原しのはら
元佐原市。南北朝期は篠原の地名があった、江戸期は篠原村。地名は「しの(濡れたところ)・はら(原)」で湿地という意味。

●下飯田しもいいだ
元小見川町。江戸期は下飯田村。地名の「下」は岡飯田(上飯田)に対し冠したもの。「飯田」については岡飯田を参照。

●下小川しもおがわ
元小見川町。古くは小川ともいう。江戸期は下小川村。地名は「お(接頭語)・かわ(川)」で川沿いの地という意味。「下」は元山田町小川と区別する為に冠称か。

●下小野しもおの
元佐原市。江戸期は下小野村。古くは小野村(郷)ともいう。地名は「お(接頭語)・の(野)」で広い周囲よりも高い小平坦地を指したもの。「下」は元下総町小野と区別する為に冠称か。

●下小堀しもこぼり
元小見川町。江戸期は下小堀村。地名は南部台地上の上小堀とともに木之内城湟(ほり)の名残とする説がある。

●昭和町しょうわまち
元佐原市。昭和31年(1956)に起立。もとは佐原市大戸新田・石納・大戸川・森戸・谷中の各一部。地名は設立した時の元号が昭和であったことにちなむ。

●白井しらい
元小見川町。江戸期は白井村。地名は「しる(汁)・い(井)」の転訛で川沿いの湿地という意味。

●新々田しんしんでん
元小見川町。江戸期は新々田村。江戸後期に小見川の山中甚内が開発。もとは大根塚野とよばれた7村入会秣場原野。地名は新しく開発した新田という意味。

●助沢すけざわ
元栗源町。江戸期は助沢村。地名は「すけ(削)・さわ(沢)」で浸食された小渓谷、または浸食崩壊地を指したもの。

●関せき
元佐原市。江戸期は関村。地名は用水堰があったことにちなむという。立地は川沿いの高低差の激しい土地、「せ(狭)き(場所)」で狭地という意味。

【た行】
●高萩たかはぎ
元栗源町。古くは高萩原とよばれた原野で牧野でもあった。江戸期は高萩村。地名は「たき(滝)・はぎ(剥)」の転訛で浸食された崖地・急傾斜地・浸食地という意味。

●竹之内たけのうち
元山田町。江戸期は竹ノ内村。地名は「たき(滝)・の(接続詞)・ふち(縁)」の転訛で崖地・急傾斜地・浸食地の端という意味。

●多田ただ
元佐原市。田多・田太・太田とも書く。平安末期は多田村、江戸期も同じ。地名は海上国造・他田日奉部の故地に由来する説、多田満仲所縁の地によるとする説などがある。古語タダレ(爛れ)で崩壊の痕跡があり、今後も雨後の崩壊発生の恐れあるところ。

●田部たべ
元山田町。南北朝期は田部の地名があった、江戸期は田部村。元栗源町田部と区別するのに「地蔵の田部」と称された。地蔵とは天台宗西雲寺の御本尊。地名は「た(段丘)・べ(辺)」で段丘の辺りという意味。

●玉造たまつくり
元佐原市。江戸期は玉造村。地名は古代の品部たる玉造部に由来か。「たむ(溜む)・つ(津)・くり(刳る)」の転訛で水の集まる浸食された地という意味か、または「たむ(廻)」で浸食された川の曲流部を指したものか。

●附洲新田つきすしんでん
元佐原市。江戸期は附洲新田村。扇島からの移住により開発されたと伝え、また扇島からの移住者9戸により当地先に沖之洲が開かれたと伝える。地名は新出の洲の意味か。

●津宮つのみや
元佐原市。鎌倉期は津宮村、江戸期も同じ。地名は香取神宮の摂社で浜手守護の神と称される忍男神社(東の宮)及び胆男神社(西の宮)の両社が鎮座することによる説、竈神社が奥津彦神・奥津姫神を祀る津鎮護の宮たる由縁によるとの説もある。「つ(港)・の(接続詞)・みや(神社)」で神社の近くの港という意味。

●寺内てらうち
元佐原市。江戸期は寺内村。地名は臨済宗光福寺の寺領内であったことによるという。「ひら(平)・ふち(縁)」の転訛で大須賀川沿いの土が崩れて地肌が表れている崖地、傾斜地、坂を指したもの。

●鴇崎ときざき
元佐原市。室町期は鴇崎の地名があった、江戸期は鴇崎村。時崎とも書く。地名は「とび(浸食)・さき(裂き)」の転訛で川に隔てられた浸食地という意味。

●鳥羽とっぱ
元佐原市。江戸期は鳥羽村。地名は「とり(浸食)つば(潰)」の変化で浸食地を強調したものか。または「とり(浸食)は(端)」で浸食された丘陵の奥地にある地勢を指したものか。

●富田とみた
元小見川町。江戸期は富田村。地名は「とび(浸食地)た(処)」の転訛で浸食地という意味。

【な行】
●長岡ながおか
元山田町。戦国期は長岡郷、江戸期は長岡村。地名は「なぎ(薙ぎ)・おか(岡)」の転訛で崩壊した丘陵を指したものか。

●長島ながしま
元佐原市。江戸期は長島村。地名は利根川が形成した大三角州の西部砂州に位置する地勢にちなむ。往時はその東に丸江湖があった。

●中洲なかず
元佐原市。古くは源右衛門須とも呼ばれた。江戸期は中洲村。地名は江戸初期、津宮村田地尻に続いてあった3州の中央の州であったことによる。なお他の2つは前須・後須と呼ばれた。

●長山ながやま
元佐原市。南北朝期は長山村、江戸期も同じ。地名は「なぎ(薙ぎ)・やま(山)」の転訛で崩壊しやすい山という意味。

●新市場にいちば
元佐原市。室町期に新市場の地名があった、江戸期は新市場村。地名は南北朝期に香取神宮周辺で開かれた新設市場によるものか。

●新寺にいでら
元佐原市。江戸期は新寺村。玉造村の枝村。地名は「にい(新)・ひら(平)」の転訛で新しくできた平坦地という意味。開墾した場所を指したものか。

●西坂にしざか
元佐原市。江戸期は西坂村。地名は当時の中心地(香取神宮か)から見て西に位置することから「西」を冠し、「坂」は傾斜地という意味。

●西田部にしたべ
元栗源村。江戸期は西田部村。近世初頭まで田部と呼ばれ「千田の田部」と称し、元山田町田部と区別した。地名は「たな(棚)・べ(辺)」の転訛で段丘の辺りという意味。

●西部田にしべた
元佐原市。江戸期は西部田村。地名は当時の中心地(香取神宮か)から見て西に位置することから「西」を冠し、「へた」は「へ(辺)・た(処)」で端の地を意味する。

●西和田にしわだ
元佐原市。明治3年(1870)に起立。もとは和田村。東庄町和田と区別する為に西を冠したか。地名は「わと(輪処)」の転訛で湾曲した丘陵を指したもの。

●新里にっさと
元山田町。江戸期は新里村。地名は新しく開発された里(村)の意味。

●新部にっぺ
元佐原市。新辺とも。鎌倉期は新部村、江戸期も同じ。地名は「にい(新)・べ(辺)」の転訛で新しくできた川辺という意味。利根川の流路が変動する以前は川辺であったか。

●仁良にら
元山田町。室町期は仁良郷、江戸期は仁良村。地名は「にた(湿地)」の転訛で湿地という意味。または「に(粘土)・ら(接尾語)」で土器を作るための粘土質の土が採れたところか。

●野田のだ
元小見川町。江戸期は野田村。地名は「ぬた」の転訛で湿地という意味。

●野間谷原のまやわら
元佐原市。野馬埜原、沼谷原とも。江戸期は野間谷原村。地名は「ぬま(沼)・やはら(柔)」の転訛で二重で低湿地という意味。

【は行】
●旗鉾はたほこ
元小見川町。江戸期は幡鉾村。地名は香取神宮の祭祀用具に関連付けた説もあるが「畠発塊」からの転訛説もある。「はた(端)・ほき(崖地)」の転訛で台地の端の崖地という意味。

●八本はちほん
元小見川町。江戸期は八本村。地名は永享年間(1429~1441)信濃国諏訪城主・諏訪縫殿頭豊教が来住し諏訪神社を勧請して椎の実8粒を蒔き神に祈願、その効験で8本の喬木が生い茂ったとの伝承にちなむ。「や(谷)・もと(麓)」で山麓の谷を指したものか。

●鳩山はとやま
元山田町。江戸期は鳩山村。地名は「は(端)・と(処)・やま(山)」で山の端という意味。

●羽根川はねがわ
元小見川町。江戸期は羽根川村。地名は天正18年(1590)助崎大須賀氏の姫が豊臣秀吉に城攻めを受けた際、馬に乗り川を飛び越えて無事逃げたことから、飛び越えた川を「お羽根川」と呼ぶようになったとする伝承があることから川名を採ったものか。「はに(粘土)・かわ(川)」の転訛で黒部川沿いの粘土質の土地を指したものか。

●福田ふくだ
元佐原市。平安末期は福田郷、江戸期は福田村。地名は栗山川沿いの崩壊地形であることから地すべり地、あるいは川の蛇行地点で豪雨時に湛水しやすい地をさしたもの。

●布野ふの
元小見川町。江戸期は布野村。地名は五郷内の字布野の一部が分村して成立したことによる。。「ぬ(湿地)・の(野)」の転訛で湿原という意味。

●府馬ふま
元山田町。平安期は布万郷、江戸期は府馬村。地名は「ふば」の転訛で表土の下は砂礫の土地という意味。

●古内ふるうち
元山田町。江戸期は古内村。地名は「ふる(降)・ふち(端)」の転訛で崩壊した台地の端という意味。

●堀之内ほりのうち
元佐原市。江戸期は堀之内村。地名は「ほり(掘)・の(接続詞)・ふち(縁)」の転訛で川縁の浸食地を指したもの。

●本郷ほんごう
元小見川町。江戸期は本郷村。地名は当地が古くは小見川の中心地であったことにちなむか。

【ま行】
●牧野まきの
元佐原市。南北朝期は牧野村、江戸期も同じ。地名は往古側高神が陸奥国より横奪してきた馬2000疋を放った名牧にちなむとする説がある。「まき(巻)・の(野)」で川の曲流した傾斜地という意味。

●増田ました
元小見川町。江戸期は増田村。地名は「まし(高地)・た(処)」で高台を指したもの。

●三島みしま
元佐原市。江戸期は三島村。元和10年(寛永元年1624)大島・扇子島とともに潮来村の定納地十三又須に島立して起立。一部が茨城県稲敷市三島となる。地名の由来は不詳。

●みずほ台みずほだい
元佐原市。成立年代、地名の由来ともに不詳。

●南原地新田みなみはらちしんでん
元小見川町。江戸期は南原地新田村。平岡村とも。江戸中期に新田開発が始められ寛保3年(1743)小見川村名主・岡野新八が開発を請負い、小見川原地新田平野村(のちの北原地新田)、小見川原地新田平岡村(のちの南原地新田)を開いた。

●虫幡むしはた
元小見川町。南北朝期は虫幡郷、江戸期は虫幡村。地名は「むし(毟る)・はた(端)」で台地の端の崖地という意味。

●本矢作もとやはぎ
元佐原市。江戸期は本矢作村。地名は古代の矢作部あるいは香取社の祭神・経津主命の後裔とされる矢作連に由来か。または「もと(麓)・や(谷津)・はぎ(剥)」で山麓の湿地のある崖地を指したもの。

●森戸もりど
元佐原市。江戸期は森戸村。地名は「もり(盛り)・と(処)」で丘陵から崩落した土砂が堆積した微高地を指したものか。

【や行】
●八筋川やすじがわ
元佐原市。江戸期は八筋川村。天正19年(1591)大堀佐兵衛の草分けとも、慶長5年(1600)左京なる者が西代村五郎右衛門を以て願い出て西代村谷地と境を立て島立して起立した。地名は往時の下利根川の乱流による地形にちなむものか。

●谷中やなか
元佐原市。江戸期は谷中村。地名は「や(湿地)・なか(間)」で川の間の湿地という意味。

●山川やまがわ
元小見川町。江戸期は山川村。地名は「やま(山)・かわ(川)」で川沿いの山という意味。

●山倉やまくら
元山田町。江戸期は山倉村。地名は「やま(山)・くら(抉)」で浸食地形を指したもの。

●山之辺やまのべ
元佐原市。室町期は山野辺村、江戸期は山之辺村。地名は山沿いの地という意味。

●八日市場ようかいちば
元小見川町。江戸期は八日市場村。本郷村の枝郷。地名は8の日を市日とする三斎市が開かれたことによるもの。

●丁子ようろご
元佐原市。丁古とも書く。鎌倉期は丁古村、江戸期は丁子村。地名は香取神宮祭に御輿舁丁(みこしかきちょう・御輿を担ぐ人)を出すことにちなむという。丁の字は古代朝鮮語のヨボに由来し本来の若者の意から満20歳になる壮丁の呼称に転じ、これに接尾語の子を付けたもので天皇の棺を担ぐ京都八瀬童子の輿丁ヨチョウ(ヨボロ)と同じ。「はつ(削)・ろ(袋状に入り込んだ地形)・ご(処)」の転訛で崩壊した丘陵に袋状に入り込んだ地形という意味。

●与倉よくら
元佐原市。南北朝期は与倉郷、江戸期は与倉村。地名は官倉の所在したことによる説、余郷と同義で余倉の転訛とする説がある。「よ(間)・くら(抉)」で川の間にある崩壊地という意味か、または「ゆ(水)・くら(抉)」の転訛で水辺の崩壊地という意味か。

●吉原よしわら
元佐原市。平安末期は吉原村、江戸期も同じ。地名は「あす(崖)・はら(原)」の転訛で崖のある広くて平らな土地という意味。

【ら行】
●龍谷りゅうざく
元小見川町。江戸期は竜谷村。内野村の枝郷。地名は「りゅう(土砂災害)・さく(谷)」で土石流などの災害があった谷という意味。

【わ行】
●分郷わかれごう
元小見川町。江戸期は分郷村。下小堀村の枝郷。地名は下小堀から分村したことにちなむか。