北相馬郡は現在の茨城県北相馬郡利根町全域、守谷市全域と取手市のほぼ全域、常総市・つくばみらい市・龍ヶ崎市の一部にあたる。もとは北・南相馬郡と併せて下総国相馬郡であった。
【和名抄】の訓は「佐宇万」「倉麻」。大井おおい、相馬そうま、布佐ふさ、古溝ふるみぞ、意部おふ、余部あまるべの6郷があった(詳細は南相馬郡を参照)。
明治8年に2宿99村が茨城県に編入、明治11年に利根川を境に茨城県側を北相馬郡、千葉県側を南相馬郡に分ける。
明治22年の町村制施行時には稲戸井村いなとい、井野村いの、内守谷村うちもりや、大井沢村おおいさわ、大野村おおの、小文間村おもんま、川原代村かわらしろ、北文間村きたもんま、高野村こうや、小絹村こきぬ、坂手村さかて、山王村さんのう、菅生村すがお、相馬町そうま、高井村たかい、高須村たかす、長崎村ながさき、寺原村てらはら、取手町とりで、東文間村ひがしもんま、布川町ふかわ、文村ふみ、守谷町もりや、文間村もんま、六郷村ろくごうの4町21村があった。
地名の由来は「狭沼」の転訛や川沿いに添う地との説もある。古語で見れば「サ(接頭語)ウマ(崖・自然堤防)」。
北相馬郡4町21村
1.稲戸井村いなとい
【合併地】稲村いな、米ノ井村こめのい、戸頭村とがしら、野々井村ののい
【現在地】茨城県取手市
【地名の由来】合併した4村から一字ずつ採った合成地名
【成立時期】明治22年
2.井野村いの
【合併地】青柳村あおやなぎ、井野村いの、小堀村おおほり、長兵衛新田ちょうべえしんでん、吉田村よしだ
【現在地】茨城県取手市
【地名の由来】もとは雁村と称した 江戸初期は井野、台宿、青柳、吉田、桑原、毛有、長兵衛新田を井野7か村と総称した 井堰のあった土地であったことから名付けられたか
【成立時期】江戸期
3.内守谷村うちもりや
【合併地】単独で村となる
【現在地】茨城県常総市
【地名の由来】古代に守谷郷と称しており、後に内本郷と新郷に分れたが平安期に再び合併し内守谷と改称した 「モリ」は神域の杜の意味か、または崖地を指すか 「ヤ」は湿地の意味
【成立時期】平安期
4.大井沢村おおいさわ
【合併地】板戸井村いたとい、大木村おおき、大山新田おおやましんでん、立沢村たつざわ
【現在地】茨城県守谷市
【地名の由来】合併した4村から一字ずつ採った合成地名
【成立時期】明治22年
5.大野村おおの
【合併地】大柏村おおがしわ、野木崎村のぎさき
【現在地】茨城県守谷市
【地名の由来】合併した2村から一字ずつ採った合成地名
【成立時期】明治22年
6.小文間村おもんま
【合併地】単独で村となる
【現在地】茨城県取手市
【地名の由来】蛟「虫罔」こうもう神社の社名に由来しているとする説、海中山明星院福永寺に伝わる毘沙門天像が小紋たなびく波間から現れたという伝説にちなむという説などある 「モンマ」がもとは「門間」で「カドマ」の変じたものだとすれば生産力の乏しい荘園で領主から免田された土地を指す
【成立時期】平安期
7.川原代村かわらしろ
【合併地】単独で村となる
【現在地】茨城県龍ヶ崎市
【地名の由来】小貝川の川辺に位置しており、「カワラ」は川の畔の意味で「シロ」は場所を示す
【成立時期】江戸期
8.北文間村きたもんま
【合併地】北方村きたかた、須藤堀村すとうほり、豊田村とよだ、長沖村ながおき、長沖新田ながおきしんでん、羽黒村はぐろ
【現在地】茨城県龍ヶ崎市
【地名の由来】古代の文間荘にちなむか
【成立時期】明治22年
9.高野村こうや
【合併地】乙子村おとご、高野村こうや、小山村こやま
【現在地】茨城県守谷市
【地名の由来】もとは今城村、天慶年間に平将門が紀州の高野山を模倣し海禅寺を創建したことから慶長年間になってから高野村と改称した
【成立時期】戦国期
10.小絹村こきぬ
【合併地】新宿村しんじゅく、杉下村すぎした、筒戸村つつど、寺畑村てらはた、平沼村ひらぬま、細代村ほそしろ
【現在地】茨城県つくばみらい市
【地名の由来】地域を小貝川と絹川(現鬼怒川)に挟まれている事から2つの川名から一字ずつ採った合成地名
【成立時期】明治22年
11.坂手村さかて
【合併地】単独で村となる
【現在地】茨城県常総市
【地名の由来】神護景雲年間に開拓されたといわれ天慶年間に坂手と記されたという伝承がある 「サカテ」の「サカ」は傾斜地を意味し、「手」は方向・方角を意味する
【成立時期】平安期
12.山王村さんのう
【合併地】岡村おか、神住村かすみ、山王村さんのう、配松村はいまつ、和田村わだ
【現在地】茨城県取手市
【地名の由来】村内に山王神社が鎮座することにちなむか
【成立時期】江戸期
13.菅生村すがお
【合併地】大塚戸村おおつかと、菅生村すがお
【現在地】茨城県常総市
【地名の由来】合併の際、村域の広かった菅生村の村名を採ったものか 「スガオ」は「スカ(州処)・フ(~になっている所の意味)」の転訛で州処になっている地という意味か
【成立時期】江戸期
14.相馬町そうま
【合併地】椚木村くぬぎ、小浮気村こぶけ、藤代宿ふじしろしゅく、宮和田村みやわだ、宮和田新田みやわだしんでん、谷中村やなか
【現在地】茨城県取手市 相馬の地名は現存しないが旧村域の施設名に残る
【地名の由来】郡名を採ったものか
【成立時期】明治22年
15.高井村たかい
【合併地】市之代村いちのだい、貝塚村かいつか、上高井村かみたかい、下高井村しもたかい、同地村どうち
【現在地】茨城県取手市、守谷市
【地名の由来】上下高井村はもとは一村で、合併した5村の中で一番村域が広いことから新村名に冠したか 「タカイ」は川の側の高地の意味か
【成立時期】江戸期
16.高須村たかす
【合併地】大留村おおどめ、押切村おしきり、神浦村かんのうら、高須村たかす
【現在地】茨城県龍ヶ崎市、取手市
【地名の由来】「タカス」とは川の砂洲が蓄積して微高地になったところのこと
【成立時期】江戸期
17.長崎村ながさき
【合併地】鬼長村おにおさ、川崎村かわさき
【現在地】茨城県つくばみらい村
【地名の由来】合併した2村から一字ずつ採った合成地名
【成立時期】明治22年
18.寺原村てらはら
【合併地】桑原村くわばら、寺田村てらだ
【現在地】茨城県取手市
【地名の由来】合併した2村から一字ずつ採った合成地名
【成立時期】明治22年
19.取手町とりで
【合併地】台宿村だいじゅく、取手村とりで
【現在地】茨城県取手市
【地名の由来】、「取出」「鳥手」「鳥出」とも書かれ平安期に平将門が砦を築いたことに由来するという説、戦国期に大鹿太郎左衛門が砦を築いたことに由来するという説がある 「トリ」は崖の意味、「テ」は方向・方角を意味する
【成立時期】平安期
20.東文間村ひがしもんま
【合併地】加納新田かのうしんでん、惣新田そうしんでん、立崎村たつざき、中谷村なかや、東奥山新田ひがしおくやましんでん、福木村ふくのき
【現在地】茨城県北相馬郡利根町
【地名の由来】古代の文間荘にちなむか
【成立時期】明治22年
21.布川町ふかわ
【合併地】中田切村なかたぎり、羽中村はなか、布川村ふかわ
【現在地】茨城県北相馬郡利根町
【地名の由来】「フカワ」は「ヌノカワ」の変じたものだとすると「ヌ(沼)ノ(助詞)カワ(川)」で湿地・沼地を指したものか
【成立時期】江戸期
22.文村ふみ
【合併地】押付新田おしつけしんでん、上曽根村かみぞね、下井村しもい、下曽根村しもぞね、大平村だいへい、羽根野村はねの、早尾村はやお、横須賀村よこすか
【現在地】茨城県北相馬郡利根町 文の地名は現存しないが旧村域の学校名に残る
【地名の由来】古代の文間荘にちなむか
【成立時期】明治22年
23.守谷町もりや
【合併地】赤法花村あかぼっけ、小山村こやま、守谷町もりや
【現在地】茨城県守谷市
【地名の由来】日本武尊が東征の際、当地の鬱蒼と茂る森を見て驚嘆して「森なる哉」と申されたことから「森哉モリヤ」となったとする説、平将門が築城の際入江に守られた土地を見て「守り易い土地」と評したことに由来とする説、屯倉があったことに由来とする説などがある
【成立時期】平安期
24.文間村もんま
【合併地】奥山村おくやま、押戸村おしど、大房村だいぼう、立木村たつぎ
【現在地】茨城県北相馬郡利根町 文間の地名は現存しないが旧村内の学校名に残る
【地名の由来】古代の文間荘にちなむか
【成立時期】明治22年
25.六郷村ろくごう
【合併地】毛有村けあり、小泉村こいずみ、酒詰村さけづめ、渋沼村しぶぬま、中谷原村なかやはら、百井戸村ももいど
【現在地】茨城県取手市 六郷の地名は現存しないが旧村内の学校名は施設名に残る
【地名の由来】6村で合併したことにちなむ
【成立時期】明治22年
参考文献
角川日本地名大辞典12千葉県/角川書店