沢村貞子:1908年11月11日~ 1996年8月16日

女優・随筆家

 

個性的な脇役として活躍し、随筆も手掛ける。

3度の結婚をし、2度の逮捕の経歴を持ちながらも力強く戦後も生き抜く沢村は、

忙しい女優業の傍らで自宅での料理も欠かさなかった。

 

家を空けることも多かった沢村は、家政婦と自分への記録として献立日記をつけていた。

その記録は大学ノート36冊分、昭和41年から昭和47年まで続いている。

日々の食生活を大女優はどのように送っていたのかが手に取るようにわかる一冊。

 

 

 

 

はいどうもowlですパー

仕事が止まっていて泣きそうです。

ライターやってますのでお仕事ください笑い泣き

 

さて、今回はちょっと変わったエッセイです。

沢村貞子さんと言う女優さんをご存知でしょうか。

 

私自身も存じ上げないのですが、

1996年に亡くなられてますので、映像はYouTubeにあるかもしれません。

50代や60代くらいの方なら知ってるかもしれませんね。

 

昭和40年の朝ドラであるあしたの家族などにご出演されています。

元々料理が好きな方でそれに関した書籍をいくつか出版されているのですが、

私自身はこの一冊を大型スーパーの一角で見つけてアマゾンで購入しましたニコ

 

その時は諦めてしまったけどやっぱりほしいってやつです照れラブラブ

 

この本なのですが、文章として読む部分がほとんどありません。

本当に記録を丸ごと落とし込んだだけのような一冊です。

大学ノートに沢村さんが自分で線を引いて記録したように、

マス目の中にその時食べたものが表記されています。

 

沢村さんは、女優業の傍らで、できる限り自分で料理をしていました。

元々料理が得意な方だったのですが、忙しくて家を空けることが多いのとやはり有名な方かと思うので、

買い物などはお手伝いさんにお願いしていたようですがま口財布

 

セリフを覚えている間は頭がいっぱいで昨日の献立を思い出せない…。

こんなことがしょっちゅうだったらしく、お手伝いさんに献立を伝えるために、

始めたのが自宅にあった大学ノートにその日食べたものを記録することでした。

 

因みに沢村さんが献立日記をつけ始めた頃、日本がどのような感じだったかというと、

お手伝いさんは中流階級以上には普通に雇っていたようです。花嫁修業も兼ねていたとか。

大女優である沢村さんのお家に家政婦がいるのは当然と考えて問題ないでしょう。

 

さらに冷蔵庫がようやく普及し始めたのが昭和30年後半、

今よりも時代の流れがゆっくりなうえ、もっと冷蔵庫が高級品だったことを考えれば、

沢村さんのお家に冷蔵庫自体があったかどうかは不明ですおにぎり

 

多分、サザエさんスタイルというか、主婦の方は毎日かごを持って、

近所の商店街の魚屋さんとか八百屋さんに行ってその季節のものをその日の分だけ買っていた、

と言った感じの時代ということになりますね。

 

私の献立日記の中を見ると、そんな感じの買い物なのだろうというのがすごく伝わってきます。

春には青い豆を使った料理がたくさん出てくるし、夏にはきゅうりやトマトなどのたっぷりの夏野菜が使われています。

沢村さんは豆が好きなようで、とにかく豆が出てくるのも特徴です。

 

保存も効くし、納得。

 

昭和40年代には大体みんなこんな感じのものを食べていたのだなーという、時代の記録にもなっていたりします。

ファストフードもないし、化学調味料もたぶん今より多くないでしょう。

元々何に対しても欲のない方だったようですが、

どんなに大女優でも、みんなと同じものを食べていたのですね。

 

体に良い旬のものを食べていたというのが感じられるのですが、昭和41年は沢村さんは58歳です。

もちろん、お化粧や肌のお手入れも欠かさなかったかと思うのですが、

あしたの家族の写真を見るととにかく若いことにびっくりびっくり

 

亡くなったのも88歳ですから、長生きですよね。

私たち現代人は、食生活の変化はもちろん、ストレスの多さによって、

今の高齢者の方よりも長く生きれないと言われています。

 

外からのストレスもできるだけ受けずにいきたいものですが、どうすることもできないことも多いわけで絶望

せめて食事をなんとかできたら体への負担も軽くなるのではないかなと。

 

食べることを生きることをとにかく体現しているような方とその記録は、

私にとっては貴重な資料にもなりそうです本