スポーツに限らず、後世に語り継がれる〝名勝負〟と呼ばれるものがあります。その多くは、〝ここ一番〟の勝負に焦点が当てられることが多いと思います。
が、競馬の場合はそうでもない、という気がしています。いかがでしょうか?
そもそもが、何をもって〝名勝負〟と呼ぶのか。
競馬の場合ですと、応援する対象の大部分がサラブレッドになりますから、たとえそれが一方的でも何でも、〝無償の愛〟みたいなものを注ぎやすくなります。勝ち負けだけではない何か、にも思い入れやすい。お子さんやお孫さんの、初めての運動会、とかに似ているんでしょうか?
いや、馬は人語を話しませんから、もしかするとそれ以上に、勝手な思い入れが可能になるかもしれません。
いずれにしても競馬は、観ているファン一人一人に〝名勝負〟と呼べるものがあって、それは様々な要因が背景にあるから、だと思うのです。
そんなようなことを考えると、逆に競馬のレースに〝名勝負〟を特定するのは難しくなります。馬そのものへの思い入れを排除し、客観的な立場を取ったつもりでいても、結局は自分の主観、いや単純に、「好み」になりかねないからです。
その「自分の好み」のようなものをちょっと紹介すると、競馬は将棋や囲碁と違って1対1ではありませんし、野球やサッカーのようなチーム対チームでもありません。当たり前じゃないかと言われそうですが、競馬は一頭の勝者と、たくさんの敗者によって勝負が成立します。そのコントラストが鮮明に、劇的に、印象強く残ったもの、がやっぱり〝名勝負〟として支持したくなる、のかな。
一頭が異様に強かったり、一騎打ちとかもいいのですが、複数頭いる方がより印象に残りやすい、と個人的には思うのです。それは、より多くのことを語れることにもつながるからです。
で、「これは〝名勝負〟になるな」と、レース前からでも後からでもなく、観ている最中に思えたりすることも、稀にですが、あります。
1992年の菊花賞がそれでした。
ライスシャワーが勝ったレース。それはミホノブルボンの無敗の3冠の夢が断たれて2着に敗れたレース、でもあります。そして、マイペースで逃げると思われたミホノブルボンに果敢に競りかけ、ハナを叩いた馬がいたレース、でもありました。
ミホノブルボンのハナを叩いたのは、現調教師の松永幹夫騎手を背にしたキョウエイボーガンでした。現在は群馬県の乗馬クラブで余生を送っています。
というわけで、昨年のナイスネイチャに続いて、31歳の彼を訪ねてきました(県またぎではありますが車での往復ですので悪しからず)。
(食欲旺盛です)
「ブルボンに競りかけるのは無謀」「競りかけた方がつぶれてしまう」
と言った意見は当時からありましたし、それはそうかも、とも思っていました。実際にキョウエイボーガンは16着に終わっています。
でも、ボーガンにとっても菊花賞は一世一代のレース。自身が「逃げてこそ」の最高のパフォーマンスをしたい、と考えるのはダメなのでしょうか?
一般的に無謀と思えるような競りかけをする馬がいると、その行為を指して批判的なニュアンスで「レースを壊す」みたいな表現をたまに耳にします。それは、その人にとって〝想定外の事態〟を生んだことを非難しているのでしょうか?まるで「質の悪い異端児」みたいな扱いにして?
しかし、圧倒的人気馬が何のストレスもなくスイスイと逃げて、まったく危なげなく押し切ってしまう大レースって何?と感じてしまう自分がいて、でもその捉え方はアリなんだよ、と、しっかりと後押ししてくれたレースが92年の菊花賞でした。
ミホノブルボンは、当時史上2頭目となる〝無敗の3冠〟の栄誉を逃しました。でも、そのことで栄光に傷がついたなんてことはなく、〝稀代の名馬〟であることに違いはありません。馬券的にいい思いをあまりさせてくれなかった馬ですけど、取材を通していろんな意味でお世話になった馬でもあり、個人的にも思い入れは深いです。
ライスシャワーも稀代のステイヤーとして君臨し、非業の死を遂げた後も多くの人に愛されています。自分も現役時はトレセンで当たり前に見ていましたし、大阪のゲートJの企画展では原稿を書かせてもらったりもしました。
もしもミホノブルボンがハナを叩かれず、マイペースの逃げが可能だったら結果はどうだったのか、という議論は残るでしょう。それも含めて、語り継がれてこそ〝名勝負〟と呼ぶにふさわしい、とすれば、その際に必ず出てくる名前として、キョウエイボーガンは刻まれているわけです。
そして、ライスシャワー、ミホノブルボンがこの世を去ってなお、幸せに余生を送るキョウエイボーガンがいます。個人的に、いろいろと感じる部分が少なくありません。
(ボーガン最後の勝利となった神戸新聞杯の直線写真。週刊競馬ブック表紙より)
とかなんとか言いながら、実のところ私自身、長い間引退後の消息は追えておりませんでした。しかも、何年か前から引退馬協会さんのホームページの『ボーガンだより』
というページを見つけていながら、それがあのキョウエイボーガンのことだと頭の中で線がつながった(?)のは一昨年頃でした。「元気だったのか」という驚きとともに、いつか訪ねよう、と思いつつ時が経ってしまったのが昨年暮れ、『ボーガンだより』に「立てなくなった」とあり、続報で「持ち直した」のを確認。落ち着いたらすぐにと思った矢先のコロナ禍。そんなこんなで今月になりました。
近いから、という理由で後回しにしてちゃいけません。これまた学ばせてもらうことになりましたし、こんなふうに関われたこともプラスされ、92年の菊花賞は自分の中で、やっぱり〝名勝負〟認定、を強く思った次第です。
連日の雨降りの中で、ほんの一瞬晴れた一日、いい時間を過ごさせてもらいました。