藍色書斎空間 -4ページ目

藍色書斎空間

ジャズ、文学、その他の事柄を徒然に書き綴ってゆこうと思う

小生のJAZZにおける守備範囲は、若者からみれば古いといわれても致し方ないところもある。すなわち、ビーバップからハードバップと呼ばれている時期、もう少し踏み込んで、モード、新主流派の60年代までがせいぜい。クロスオーバーや電化マイルスにはとんと興味がもてぬ。

同様にフリージャズもほとんどきかぬ。

コルトレーン、アイラー、それにオーネット・コールマンの一部は例外といえるが、それ以外のフリージャズはとんと受け付けぬ体質ゆえ、長年、古い4ビートを聞き続けているという次第。

しかし、よきものは古びぬ。これも小生の信念であるからして、この考えはおそらく一生かわらないのではないかと思う。たまには若者のJAZZも聞かねばならぬとは思うが、ついぞ手が伸びぬ状態で現在に至っている。

よく聴くのはやはりいわゆるジャズの名盤とよばれているものが中心で、特にアート・ブレイキーやクリフォード・ブラウンらが熱演を繰り広げるバードランドの夜は生涯の名盤といえよう。

これ抜きには小生のジャズ観はまったく語り得ぬといっても良いほどである。







小生、30年以上も前からMiles Davisの「Kind Of Blue」を愛聴しており、未だ飽きることはない。LPを数枚買い換え現在はもっぱらCDでサウンドを楽しんでいる日々である。

マイルスデイビスが作り出す空気や世界は独特なものがあるが、特にカインド・オブ・ブルーの静謐でありながらも、音の根底に宿る力強きブルーが、聴くたびに小生の精神を静かに鼓舞してくれるのである。







ジャズギターといえば、チャーリー・クリスチャンに限るというと顰蹙を買いそうだが、当然、ウェスもケニー・バレルもバーニー・ケッセルもよく聴くのだが、クリスチャンだけは別格という言葉がまったくもってよく当てはまるのだ。
なぜ20歳前半の若者がこれほどまでに創造的かつ革新的なのか。時代のエネルギーなのか突然変異なのか。クリスチャンのギターを聴くたびに様々な思いを巡らせてしまうのである。