『ママはきみを殺したかもしれない』

樋口美沙緒

幻冬社 2023223


「選ばなかったもう一つの未来を、生きてみよう」


育児より仕事を優先させたことを後悔している主人公は、今度こそちゃんとした、いいママに、理想のママになろうと決心するが──。



子育てに悩む母と子の物語ということもあり、ハラハラ、ドキドキするところ、身につまされて苦しくなるところが満載。先がどうなるのかが気になるのに加え、読みやすさのせいもあって駆け抜けるように読んでしまった。


物語の運びにも、ラストの感じにも納得だが、

私は子育てをやり直したいかと言われたら、全然やり直したくない。むしろ嫌。なぜならやり直したところで、前回より上手くできるとはとても思えないから。


言いたかないけど(言っちゃうけど)、二十代は仕事ばかりしていて、親しい友人も皆似たような感じだったから、周囲に赤ちゃんなんておらず、見たことも触ったこともない状態から育児スタートして、五里霧中、試行錯誤でドタバタの日々だった。


幸い子どもたちはふたりともスクスク元気に育ってくれているけれど、それは私の手柄でもなんでもなくて、子どもたちがもともと持って生まれた性質が生きているだけ、つまりは「たまたま」だと思っているし、ワンオペ育児でヒヤリとしたこと、ドキッとした経験もあるから、無事育ってくれたことが奇跡のように思えたりもする。


「良いママ」「良いパパ」なんて曖昧で答えのないものを目指さなくてもいいと私は思う。目の前の子どもをしっかり見て、必要なお世話をして、必要に応じて「客観的に正しい」知識や情報を収集、取捨選択して、得られるサポートがあれば利用して、自分のことも大切にしながら、できる範囲でできることをやれば良い。そうすれば自分が死ぬほど追い詰められたり、子どもを死なせるほど思い詰めたりすることはないのではないかな(不慮の事故も減ると思う)。



とはいえ、新生児を育てている頃は24時間体制だし、少し大きくなってからも、目が離せない、気が抜けない日々は続く。育児をメインで担っている人は、家事もセットで分担していることが多いから、両立に苦しむこともあると思う。


だけど、ある程度子どもが大きくなってから、ママ友さんたちとの会話の中で出るのは、


「子供が小さくて手一杯だった頃、何故旦那のご飯をあんなに必死になって準備していたのか」


という話。


「今思えば財布を持ってるおっさんのご飯なんて、自分でどうにかして貰えばよかった」


と言う人が私の周囲ではとても多い。毎日外食してもらえばよかったとは言わないが、例えば週に12日「準備できません」という日があってもよかったのではないか。私も何故あの頃毎日お弁当を作って持たせていたのか不思議。その時間を疲労回復に充てればよかった(多分夫は私がお弁当を作らなくても特に困らず、気にしたりもしなかったと思う)。


育児と家事、両立しようとする心掛けは否定しないし、立派だとも思うけれど、自分自身の「ネバナラナイ」から自由になったら楽になることもある。


大人だけの暮らしとは比べ物にならないほど育児、家事関連の仕事が増えるのだ。パートナーと分担できるなら分担するのもいいが、それが現実的でないのなら、一時的にでも「やらない仕事」、「休む家事」を決める勇気も必要だと思う。人間睡眠や休憩も息抜きも大切(渦中にいた頃はトイレにもおちおち行けず、休憩と息抜きの発想はなかった私が言うのもなんやけど)。


I read fictional novel about the mother who regrets that she prioritized her career over child care.   One day she somehow went back to the past and began to start over with her baby boy.   Can she have the satisfaction of her redo life?