大人は泣かないと思っていた』

 寺地はるな

 集英社 2018730


表題作を含む7つのお話からなる連作短編集。



『生きていくのは大事業だよ。その事業が継続できるならさ、どんな編成だっていいんだよ。お母さんが三人いたって、夫婦ふたりだけだって、子どもが二十人いたって、全員に血のつながりがなくたって、うまくいってるならいいと思うんだよ。もちろん、ひとりだってさ』

-p. 72


「化粧は若づくりのためではない。異性に見せるためにするのでもない。自分の心を明るく保つためにある。」

-p. 116



「望まない人間に『常識なんてくだらない、もっと強くなれ』と言うのは、それは『はやく結婚しなきゃね』と言うのと同じ価値観の押し付けでしかないのだ。言っていることは正反対であっても、同じ種類の圧力だ。」

-p. 182


『今まではね、口答えするよりハイハイって聞いておいたほうが面倒がないと思ってやり過ごしていたんです。でも』


『そういうのは未来のためにならない。未来を生きる女性たちのためにならない』

-p. 192



随分前から複数のフォロワーさんにおススメいただいたのに、読みそびれていた作品、


大人は泣かないと思っていた

小柳さんと小柳さん

翼がないなら翔ぶまでだ

あの子は花を摘まない

妥当じゃない

おれは外套を脱げない

君のために生まれてきたわけじゃない


7話で構成される連作短編集。


表題作は九州の田舎住まい、農協に勤めるながら父親と暮らす男性が主人公、2話目からは周囲の人びとに順に光を当てながら進む。1話ずつ完結しながらも、全体がひとつの大きな物語になっている。


「男は」「女は」「母親は」「嫁は」「長男は」「長女は」「普通は」「家族は」「日本人は」、など、いわゆる「大きな主語」を使って他人から決めつけられたり、強要されたりすることってある。あるいは自分で自分を縛ってしまうことがある。


世の中の、人びとの心の中の「ネバナラナイ」に疑問を投げかけるような作品、子育て中の身としては、


「男/女の子だから」

歳だから」

年生だから」

「お姉ちゃんだから」


というような接し方や言葉掛けはしないようにしているが、今後さらにしっかり考えて選ばないといけないと再認識した。


寺地先生の文章は非常に読みやすくて、ス〜っと心に沁み込んでくるかのようだが、心の深いところにいつも何か大切なものをしっかりと残してくれる気がする。