『犬のかたちをしているもの』
高瀬隼子
集英社 2020年2月10日
「それって、そんなに、すごい?」
「しないってそんなに、悪いこと?」
付き合って3年、ここ1年半ほどは半同棲状態のふたり、ある日彼が仕事帰りに駅前のドトールで待ち合わせて話をしたいと言い出した。
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「考えすぎたんだと思う。選択する前に。よく考えてから選べと言うけど、考え抜いた後で、選びたい方が残っているとは限らない。」
-p. 90
「勘弁してよこんなにきついのに、きつい時にわたしは、表情のことや、涙を出すか出さないかってことまで、頭で考えなきゃいけないのか」
-p. 105
「子どもを持ったら、世界はわたしに優しくなるかしら?」
-p. 113
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「おへそに溜まった汗を人差し指でかき出す。」
の冒頭の一文から、なになに?何のお話?と引き込まれ、行間も空いていてページ数も少ないのでどんどん進むのだが、モワモワ〜っと広がる不快感のような、不安感のようなものに足を取られ、たびたび立ち止まったり、引き返したりしたくなる。
自分がどこにいるのかよく分からなくなるこの感じ、どんな感想を抱いて良いかわからないこの感じ、一筋縄でいかないこの感じが高瀬節、なのかな。
それでも読み進むにつれ、あ、そうか、主人公はもうずっと前から深く深く傷付いていて、悲しいのだ。そして自分ではもうそれとわからないくらいに彼を必要としているのだということが心に染み込むようにわかった(ように思った)。
この先どうなるのかわからないけれど、主人公が相手のことも自分のこともあまり追い詰めないでいるといいなと思ったが、おそらく詰め詰めに追い詰めてしまうんだろう。悲しい。
高瀬隼子さん、
『おいしいごはんが食べられますように』
を読んだ時、美味しいものを美味しくなさそうに書くのがなんてお上手なのだろう、と感銘を受けたが、気持ち良いことを気持ち悪く書く名手でもいらっしゃるらしい。
折に触れて読み返すと、感想がかわって面白そうではあるけれど、続けて何度も読むと女性である自分の身体も、その身体に起きることも、身体を使うアレやコレやも嫌いになりそうな気がした。