『あいつゲイだって──アウティングはなぜ問題なのか?松岡宗嗣 

(柏書房 202112月)


本人の性のあり方を本人の同意なく第三者に暴露する「アウティング」によって起きた一橋大学アウティング事件」、実はこのような被害は以前から、そして現在も起きているのだという。


「アウティング」は何故起きるのか

「アウティング」が何故「命」に関わるのか

などについて丁寧に問題提起し、解説された一冊。



「セクシュアリティについて、『誰を好きになるかは勝手だ』と思う人もいるだろう。それは『どの性別に関心が向くか、向かないかの違い』であり、所詮、『瑣末な話にすぎない』と思う人もいるだろう。確かにそうあるべきだ。にもかかわらず、社会はシスジェンダーの男/女かつ異性愛を前提につくられているため、そもそも『そうでない存在』が想定されていない。制度から取りこぼされ、いじめやハラスメントを受け、不利益を被っている人たちがいる現状すらないことにされている。」

-p. 66


「社会からその存在を想定されず、見落とされ、排除され続けてきた人たちがいる。性のあり方は、私という人間を構成するあくまで一つの要素にすぎないけれど、一方でそれは、自分の人格を構成する重要な要素の一つでもある。だからこそ、それを好評することで、不利益を被る可能性がある。それでも伝えるかどうか。その自由は個人保証されている『権利』だ」

-p. 92


「本来、性的な欲望のあり方やその度合いは、性的マイノリティであるか否かには関係なく、まさに個々人によって異なる。そして、そもそも、マジョリティも含めて、性について語ることは恥ずかしく、下品であるなどとタブー視されている。しかしその一方で、マジョリティの性のあり方は、『普遍的』と位置付けられ、不問となり、マイノリティの性のあり方はタブー視の延長で『過度に性的』とかれ、語るべきでないと位置付けられてきた。その非対称性を見落としてはいけない。」

-pp. 99-100


「アウティングが起きてしまったときに被害者を保護・救済できるかどうかは、実効性のある『仕組み』の有無に左右される。」

-p. 118


「『差別や偏見がなくなれば』と、言葉にするのは簡単だ。しかし実際にそれはいつなくなるのか、そもそもなくすことができるのか。いつ平等な社会は実現するのか、できるのか。こうした議論を蔑ろにしたまま理想のみを語っていないか、注意が必要だ。」


「現在、性的思考や性自認に関する差別的取り扱いの禁止を法律に明記する国は増えている。それでも、差別ら偏見はすぐにはなくならないし、なくなっていない。」


「『理想』をめぐる議論が、いま、目の前で起きている深刻なアウティング被害を、その差別的な『現実』を矮小化してしまってはいないか。常に現実を見つめながら、注意深く捉えていく必要があると思う。」

-p. 128


「性的指向や性自認などは一見、外から見えにくいものであり、だからこそアウティングという問題の発生につながる。一方で『ハーフ』や『ミックス』などをテーマとする研究者の下地ローレンス吉孝氏によると、外見など見えやすい違いがある人に関しても、ルーツなどについて一方的に『なんでも質問していい』『勝手に広めていい』ものだと軽視されてしまう面があるという。」

-pp. 154-155


「アウティングはしてはならない──。まずはこの『原則』を改めて確認したい。

 性的指向や性自認など、性のあり方。勝手に暴露されることによる被害や不利益が十分に知られていない中で、アウティング『命』を損なう可能性ほかる危険な行為であることは、何度強調してもし足りない」

-p. 181



「『法律上の性別と性自認は一致しているもので、違和感はないものだ』といつシスジェンダーの存在が前提とされている社会では、性別よ見ればわかるものとされる。だからこそ、この規範から外れたときに、その情報を暴露することはアウティングとなる。結果、差別や偏見の対象となり、ハラスメントの被害を受けてしまう可能性も出てくる。」

-p. 205


「差別や偏見がなくなれば、(性的指向や性自認などの情報を)暴露されたところで何も問題は起きない。差別的取り扱いや不利益を受けることのない社会であれば、法制度をもってアウティングを規制することも、アウティングという言葉すらよ必要なくなるだろう。しかしそんな社会が勝手に実現するわけでもない。」


「『理想』を掲げ、『目標』を見据えつつ、その社会が本当に実現されるまでは、過渡的なアウティング規制が必要であり、アウティングの『問題』ももっと広く認識されるべきだ。」

-p. 222



今年になってから、LGBTQ+とか、多様性とかいう問題に関する本を読む機会が増えて、その度に色々と考えることができているつもりだけれど、今回も自分の認識や考えの浅い部分、足りない部分をたくさん突きつけられた。


少し知識を得るごとに、少しだけ世の中の見え方がかわる。これからも少しずつ学んでいきたいと思った。