大晦日の2日ほど前でしたか?翔ちゃんのピアノ伴奏の話聞いたのって。

前に何かの雑誌で、合宿DVDでピアノ弾いた話になって記者さんが「コンサートで披露は?」って聞いたら翔ちゃん「ないよ」ってあっさり言ってたからほんとに弾く気ないなって思ってた。でもその気のなかった彼が動いたんですね。キャスターとしての櫻井翔の使命感や責任感というものを感じました。

去年の5人の司会ぶりから格段に腕を上げたと先のブログで偉そうに書きましたが、翔ちゃんのピアノもそう。合宿DVDで聴いたのより全然上達してます。そりゃあ普通に半年くらい毎日練習してたらある程度上達は確実ですけど、彼は超超忙しい人です。おそらく2011年下半期、嵐の中でも1,2を争う忙しさではなかったのかと思います。それなのに全くミスタッチなしでの演奏。たぶん充分な時間なんてなかったと思う。

ミスタッチなしで演奏できるって相当なことです。プロのピアニストでも、自分のリサイタルでがんがんミスしてますから。私レベルの話を持ってくるのはおこがましい話だけど、15年くらいやってましたがコンクールとか、発表会とか、たぶん完璧にこなしたことは数えるほどしかなかったと思います。まぁお稽古ゴトの域を出なかったから真剣に取り組んでなかったけど、かなり集中力は必要です。雑念の多い私はともかく翔ちゃんの集中力、すごいんだろうなと思います。練習時間の少ないこともそう、普段からたぶん秒刻みで動いてるから嫌でも集中して仕事こなすことを覚えるんだろうけど、やっぱり聡明さがうかがえます。

それから翔ちゃん、もちろん小さい頃からやってるだけあって姿勢もいいし、指使いも正確。最初に座り直して姿勢を正したところは余裕すら感じてました。思わずSちゃん、うなるように「この人本当に育ちがいいんですよねぇ~」って私も全く同じこと考えてました。

また伴奏っていうのがソロで弾くよりもさらに難しいことなんですよね(私には特にそう思える)。独奏だとぶっちゃけ好き勝手弾けるんです。練習で先生にどれだけ指導されようと本番で自分の好きなようにアレンジしても先生は注意できないし。でも伴奏となると歌い手が主役。強弱やテンポまで全部歌に合わせないといけない。指揮者がいれば見ないといけないし、いなくてもあくまで歌がメインです。

でも今回歌っているのは嵐の4人。翔ちゃんと合わないはずがない、彼にとって世界で一番波長の合う(に違いない)人間4人が歌ってるんです。きっとそのあたりは安心して合わせられたのではないかと思います。そして嵐メンバーも翔ちゃんの伴奏ってことで安心しつつ、気持ちをとってもこめながらも淡々と歌い上げていました。

この歌が終わるとすぐにSちゃん彼からメールが来て、「嵐ってうまいんやな」って言ってると、こんなこと初めてだって。

弾き始めていくうちに、どんどん翔ちゃんの顔が今まで見たこともないくらい真剣に、そして鬼気迫ると言えるほどの表情になっていきました。正直見ていると胸が痛くなった。2011年3月11日からの翔ちゃんの思い、苦悩、全部こめられているようで思わず泣きそうになったけど、一人じゃないからこらえました。するとSちゃん早くも泣き・・・・あ、私も泣いて良かったんだって。

ここから全部ワタクシゴトになりますが、この「ふるさと」紅白で聴くのは二度目です。これを聴くとやっぱり自分にとってのふるさと=生まれ育った小さな田舎町を思い出しますが、今回は、亡くなった幼なじみを強烈に思い出してしまいました。

彼女は同級生で一番つきあいが長くて古い友達でした。病気にかかっていたことすら知らなくて、そう言えば今年は会ってないなぁって思っても、今でも同じ町に住んでいたし、いつでも会えるからって、メールの返事が来なくても子供とか、ご両親とかの事情で忙しいんだなぁくらいにしか感じてなくて、彼女がこの世からいなくなった今もまだ実感できないまま。

美しくて、強くて、優しくて、人のためにばっかり動き回って、苦労してる子で、私なんか何かあるたびに彼女に泣きついて愚痴ってたけど、彼女は辛いことがあっても乗り越えてから「実はこんなことがあったんだけどもう大丈夫」って報告してくる人。病気のことも結局言ってくれないままで、ご主人が「Bちゃんにだけは教えたら?もう会えなくなったらどうするんだ?」って言っても「治るまで誰にも会わない」って頑張ってた彼女。

訃報を聞いた時にはどうしてもっと早く教えてくれなかったのかってまだ高校出たばかりの彼女の娘を責めたりしてしまったけど、それは完全に置いて行かれた私のエゴで、私なんかに彼女の苦しみとか辛さがわかるはずもなかったんだって今なら理解できる。「Bちゃんは今会社で大変な目にあってるから心配かけたくない」って、もっともっと苦しいはずなのに私を気にかけてくれてた彼女。

先日実家に帰った時もやっぱり彼女を思い出して、でも未だに実感わかなくて。彼女の命日を迎えてもやっぱりまだわかない。もし今後毎年紅白でふるさと聴いて、彼女を思い出しても彼女がこの世からいなくなってることはいつまでも実感のないままなのかもしれない。ずっと車飛ばして30分の場所に、家族と幸せに暮らしているとしか思えない。

普段は何かとふざけてるこのブログですが、この「ふるさと」だけは真面目に書きたくて。次回からはまた普段通りです。