その裁判は「普通の人たち」の罪を暴き立て、告発するーーー「無知は罪なりし!」
◇レストラン「ドイツ亭」◇ -Deutsches Haus-
アネッテ・ヘス 森内薫 訳
ベストセラー『朗読者』を彷彿とさせるノンフィクション小説。1960年代の「アウシュヴィッツ裁判」で裁かれたナチス戦犯の中に父母を発見した女性主人公。崩壊する絶望の家庭と希望。
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1963年。フランクフルトでアウシュヴィッツ裁判が始まった。あれから18年。今更暴き立てて何になろう? 人々は戸惑い、憤る中、検事局長のフリッツ・バウアーや被告人4番に執念を見せるダヴィッド・ミラーは粛々と裁判の準備を進める。
父親ルートヴィヒがレストラン「ドイツ亭」を営むポーランド語通訳エーファはその裁判で証言するポーランド人囚人の言葉の通訳を依頼される。最初は歴史のことは興味ないし、断ろうとするが、次第に「やらなければいけない」義務に駆られて引き受ける。翻訳が暴くドイツ「人」が行った、または黙認した数々の非道。……やがてその非道に両親が関わり、自分もそれに知らずとも加担してしまったことを知る……
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「レストラン『ドイツ亭』」です(・∀・)
前々からちょっと気になっていたんですが、読んだ父が貸してくれました。父が勧める本は外れが無いのでこれもきっと重いに違いないが、大事な一作になるだろうと思って読み始めました。
まず最初に思ったのが……ドイツにも罪に背を向けた時代があったのか!! いや、ドイツはナチス絡みになると1から10まで批判非難検閲検挙するので「きっとニュルンベルク裁判直後から徹底していたに違いない」と思っていたので絶句……
フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判では最高司令官クラスではなく(そっちはとっくに死刑執行されているから)命令された親衛隊員や看守、医者たちが被告人として裁かれました。その頃には公私共々「良い人」になっているのでそれを隠れ蓑に知らん顔するか、断固否定する人たち……現代の私たちはアウシュヴィッツで行われた非道を知っているので憤りの気持ちしか無いのですが……もし家族が親衛隊側として働いていて、それをずっと秘密にしていたと知っていたら、私はエーファのように行動を起こせただろうか? 「本当に知らなかった」「殺されると思った」を受け止めつつも「でも理解しようとしなかったじゃないか」と言えただろうか?
主人公も父親も母親も姉も被告人たちも一見普通の人たちです。本当に普通の人たち。私たちの隣に、または私たちのような。そんな彼らがあの残虐非道で片付けるには安過ぎるぐらいの地獄を作り上げた、苦しい、思い出したくない、と思うのは理解できる。理解出来るけど……でもそれを「嘘だ!」と否定するのは違うんだよ!
私は基本的には罪は永遠に償われないと考えるたちなので結論から言えば彼らは真理的に見ればもう立派な罪人です。しかしここで言う償われないは「なかったことにはならない、それを絶対に忘れるな」という意味なのです。しかもそれは償い方を間違えると両者は決して分かり合えないと思い知らせることになり、それはジャスキンスキー氏の言葉からもわかります。これは辛い……
そして罪によって人生がめちゃくちゃにされる謂れはない。それはまた違う。エーファは正しいことをした、けれどそれによって家族はばらばらになってしまった。2度とあの団欒は帰ってこないかもしれない。幼弟シュテファンの願いは叶えられないかもしれない。でも決して消えない大事なものは罪だけではないことも教えてくれます。
日本はもう政府のトップ年齢層はマジで!当てにならんので私たちのような←若い世代が肝に銘じないといけません。若い世代が政府の頂点に立ったら、過去の罪を忘れない取り組みが出来る様に願っています。本当は今からだってやりたいぜ? 今の政府が全員いなくなるのを待ってられない。でも今の私たちにできることはある。それはかつて残虐非道な出来事があった、罪は永遠に「償われない」、絶対に忘れてはいけないと真摯に受け止めることです。この本は戦争のせの文字を人から聞いたことがない、テレビや本でしか知らん!と言う人に読んでもらいたいです。
「レストラン「ドイツ亭」」でした(・∀・)/
次はもらった本を読みます(*^o^*)/