帚木蓬生「エンブリオ」
女性の初産平均年齢が高くなっている昨今、避けて通る事ができない「不妊治療」。
子供が欲しくても授からない夫婦にとって、本当に切実な問題です。
昔は「試験管ベビー」等と呼ばれ、批判も多かった人工授精も、今では不妊治療を
考える上で欠かせない技術となっています。
今回紹介するのは、
エンブリオ (上)(下)
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このお話の主役は、九州のとある場所に自分の病院を構える天才産婦人科医岸川。
彼は先端技術の虜となり、不妊治療だけではなく生殖・再生・移植...と
全ての場面において自分が持つ技術を駆使して行く。
それは時として世間的には認められていない・理解されがたい倫理上の問題や
法律上整備されていないデリケートな課題を孕むことも。
・人工中絶した胎児は冷凍保存され、必要となったその時には解凍・培養増殖され、
移植の為に使われる。
・中絶胎児の脳組織をパーキンソン病患者へ移植する。
効果は非常に高いが、拒絶反応を避ける為患者の肉親胎児を利用する。
・胎盤を利用した美容液を生産
一見非道とも見えるこれらの行為、
主人公岸川は決して金銭の為に悪行を行っているわけではない。
彼に取り付いた「先端技術への飽くなき追求」と「患者への献身的な愛」が
生み出した成果である。
子供を熱望していながらも授かる事ができない夫婦の期待を背負い、日夜新しい
技術にのみ関心をしめす、そんな男。
そんな岸川が、モナコで行われた学会で
「男性の腹に受精卵を移植し、胎児を成長させる」という発表を行うことで
岸川は様々な利権関係の渦に巻き込まれてゆくことに...。
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タイトルである「エンブリオ」とは、受精後8週までの胎児のことを指すそうです。
主人公岸川は、利益を追求するだけの金の亡者でもなく、研究一筋で臨床を無視するような
非道な医者でもない。もちろん名誉心の為だけに生きているのでもない。
ある意味、非常にクールでありながら、誰よりも患者の事を考えている医師に思えます。
岸川が経営する病院は、まるでカリフォルニアを思わすような景観が望める。
入院患者はリゾートホテルにでも滞在しているかのように日々を過ごす事ができ、
人間らしい豊かなこころで闘病生活を送っている。
必要以上の広告活動もせずとも、岸川の腕を慕う患者は後を絶たない。
日本の規定やしきたりよりも、患者の望みを叶えてやりたい。
もしかしたら、著者が考えるあるべき病院像が描かれているのかもしれません。
著者「帚木蓬生」は東京大学仏学部卒後、九州大学医学部を卒業しています。
だから舞台が九州なんでしょうか?
95年『閉鎖病棟』で第八回山本周五郎賞を受賞しています。
また、「臓器農場」「受精」などでも、「エンブリオ」同様
先端医療における生命倫理をテーマとした作品を世に送り込んでいます。
この本の装丁にも深い意味があるのかもしれません。
上巻では赤ちゃんの可愛らしい手。下巻ではそれを支える大人の手。
これから生まれる命を支えられるのは、誰なんでしょうか?
ルールだから、倫理上そうとされているから。
この先自分が同じ選択を迫られたとした場合、どんな結論を出せるのか。
自分の幸せを願い、何かを犠牲にしたとしても、それは責められる事なのだろうか?
岸川がもっと極悪な主人公であれば、もう少し違った読感をもてたかもしれません。