やっかいでも何か残るもの/象 | できれば本に埋もれて眠りたい

やっかいでも何か残るもの/象

レイモンド・カーヴァー


象 (村上春樹翻訳ライブラリー c- 8)/レイモンド・カーヴァー
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全体の印象として、やっかいな短篇集、といったところ。


村上春樹による解題がなければ、それ以上深く突っ込むことのない作品ですが、せっかくなのでもう少し色々色々考えてみることにしました。


これは、レイモンド・カーヴァーの最後の方の短篇集。

やっかい、といったのは「大聖堂」などの作品などと比べ、作品はまとまりよりは傾きに力が注がれているからです。


たとえば弟、母、娘から金の無心される状況を語る「」や、延々と元妻に今までの至らなさを非難される「親密さ」、妻とうまくいきかけているのに母のせいでどうなるか分からなくなってしまう「引越し」などの、アメリカの低収入者の日常的圧迫感。


よく知らない食べ物のとのすれ違い「メヌード」や、夜眠れないときに話題になった尊厳死についてのこだわりについての「誰かは知らないが、このベッドに寝ていた人が」、妻からもらった手紙を考察しながら現在進行形で妻が出て行ってしまう奇妙な味が下に残る「ブラックバード・パイ」、そしてチェーホフの最後をホテルマンの視点から書いた「使い走り」などの、奇妙な着地地点。


それは「大聖堂」「頼むから静かにしてくれ」などの一つの頂点から、次に移行するための準備期間のような短篇が集まり、いわゆる「習作」というものになるのかもしれません。


しかし、ただでさえ奇妙な味わいを持つレイモンド・カーヴァーの、さらに開発途上の作品、となると、それを読みきるのは、やっぱり「やっかい」となると思います。


個人的に一番嫌いで、でもぐっときたのは、「親密さ」。

元妻にアメリカ的押しの強さでの非難は、小説的読み心地を破綻寸前まで押しやった後、ふっ、と抜けるのです。そこになんだか救済が感じられます。


「象」も弟、母、娘から肉親としての情を絡めながら金を無心されます。あぁもう限界、という朝に友人の車に乗って疾走するのですが、あきらかに救済はないものの、ふっとした開放感が感じられ、その瞬間にその荷の重さをずっしりと感じる、そんな小説でした。


こういう後味が、レイモンド・カーヴァーの真骨頂なのでしょう。


レイモンド・カーヴァーを読み始めるなら、構造のしっかりした「大聖堂」「頼むから静かにしてくれ」「足もとを流れる深い川」のほうがずっといいと思います。


ただ、もっと他の作品を読みたくなったとき、こんな作品もある、ということです。