戦う相手と場所/人生の旅をゆく
人生の旅をゆく
よしもとばなな
最近のよしもとばななは実に説教臭いと思いませんか。
相変わらず、そういう感じはあるねという情感の発見とその表現はうまいのですが、そこに結びつける目的が前よりもはっきりと見える分、説教くさくなっているように思えます。
しかし基本的に説教臭いのは、うなずける部分があれば私は歓迎なので、最近のよしもとばななも楽しく読んでいます。
で、この「人生の旅をゆく」、旅にまつわるエッセイをまとめたものですが、タイトルからしてなんだか語り入りそうな感じですが、予想に違わず結構色々語っています。
語るにも色々技があるのですが、そこは小説家よしもとばなな、まだ語りの方は初心者なのでいまいちですが気になった部分がいくつかありました。
そのうちの1つを長いですが抜き出してみます。
「単純に、バカみたいに」の一部
・・・私は,現代の要求に飲み込まれてしまい、今はもう現実に参加できなくなったり、とことん体を壊してしまったり、人相が悪くなってしまっていて、もう話もできなくなってしまったような知人がいっぱいいる。
何ものかよ、元の彼女たちを返してくれ! と心から思う。
私の頭の中には、その人たちが元気で生き生きしていた頃の映像がいっぱいつまっている。それはなにがあっても損なわれるべきではないものだった。
みんなかけがえのない才能、替えられない笑顔、優しい心を持った普通のお嬢さんたちだったのに、どうしてあんなことになってしまったんだ、と言いたい。
彼女たちこそが炭坑のカナリアなのだろう。
・・・こうやって書いていると絶望的なようだが、若い敏感なお嬢さんたちは、そろそろ気づきはじめていると思う。
・・・「クウネル」とか「Arne」という雑誌がある。とてもよく売れている雑誌だ。そこに出てくる人たちは、日本にしかない新しい時代を創るやり方を模索している若い人たちや、社会からはずれても自分のやり方を通してきた年上の人たちだ。
・・・みんなどうしてしまったんだ、そんなにすごくならなくてもいいじゃないか、と思う。
今日みたもののことを考えたり、しゃべったりしながら、普通に友だちとか家族とかと過ごそう。仕事はそこそこできて、失敗もして、たまには達成もして、それを自分の誇りしよう。みたくもないものやしたくないことのために使う時間を減らそう。ただ漫然と生きているだけの時間を減らそう。でもしゃかりきに何ものかになろうとしたり、自分から発信したりなんかしなくていい、そんな疲れることはやめよう。ペースを落として、ひとつひとつの行動を寝る前に振り返ろう。一日健康でいられたことに、平和に、家族が生きていたことに普通に感謝しよう。
・・・こういう考えを「子供じみている」という古い考えと戦うために、私はちっぽけな小説をこつこつと、まずは自分の満足と楽しみのために書いていく。もしもそれを人が喜んで読んでくれたら、ほんのしばらくその中で憩ってくれたら、私の人生はもう充分すばらしい。デブでもものぐさでもブスでもバカでもセンスが悪くても何でもかんでも、もうそれで充分なのだ。
・・・個人の力はものすごく大きい。・・・一度閉店してしまった青山ブックセンターが復活したら、みんなにこにこして本を買っていたじゃないか。それはこれまでに店員さんがつむいできた大事なものが実ったからだ。一見評価されにくくても、個人の輝くところ、必ずそこには何かがある。
全ては自分の中からはじまり、幼いときから生涯を通じて続いてきたのだ。そのヒントは自分の中にしかない。自分はいちばんよく自分を知っている自分の友だちだ。今はその感じがばらばらで、みなとまどっているいるだけなのだ。本能の声を聴いて、耳を澄ませていけば、必ず自分と自分がぴったりくるポイントがあると思う。そしてそれが一致したとき、個人はとても大きな力で、日常を、周囲をてらすだろう。
よしもとばななが若さだけではなく、戦うべき相手と自分の立場を明確に理解していることが伺えます。
感性ではピカイチのよしもとばななが明確に自分の仕事を意識したことは、個人的には、最近の作品の目的の明確さにうなずくとともに、ますますこれからの作品が楽しみになりました。
この本もまだまだ明瞭明確というわけではありませんが、その断片がちりばめられ、玉石混合でありながらも楽しみことができました。
そういえばこの感性と目的の明確さはパウロコエーリョに似ていますね。
よしもとばなな
- 人生の旅をゆく/よしもと ばなな
- ¥1,365
- Amazon.co.jp
最近のよしもとばななは実に説教臭いと思いませんか。
相変わらず、そういう感じはあるねという情感の発見とその表現はうまいのですが、そこに結びつける目的が前よりもはっきりと見える分、説教くさくなっているように思えます。
しかし基本的に説教臭いのは、うなずける部分があれば私は歓迎なので、最近のよしもとばななも楽しく読んでいます。
で、この「人生の旅をゆく」、旅にまつわるエッセイをまとめたものですが、タイトルからしてなんだか語り入りそうな感じですが、予想に違わず結構色々語っています。
語るにも色々技があるのですが、そこは小説家よしもとばなな、まだ語りの方は初心者なのでいまいちですが気になった部分がいくつかありました。
そのうちの1つを長いですが抜き出してみます。
「単純に、バカみたいに」の一部
・・・私は,現代の要求に飲み込まれてしまい、今はもう現実に参加できなくなったり、とことん体を壊してしまったり、人相が悪くなってしまっていて、もう話もできなくなってしまったような知人がいっぱいいる。
何ものかよ、元の彼女たちを返してくれ! と心から思う。
私の頭の中には、その人たちが元気で生き生きしていた頃の映像がいっぱいつまっている。それはなにがあっても損なわれるべきではないものだった。
みんなかけがえのない才能、替えられない笑顔、優しい心を持った普通のお嬢さんたちだったのに、どうしてあんなことになってしまったんだ、と言いたい。
彼女たちこそが炭坑のカナリアなのだろう。
・・・こうやって書いていると絶望的なようだが、若い敏感なお嬢さんたちは、そろそろ気づきはじめていると思う。
・・・「クウネル」とか「Arne」という雑誌がある。とてもよく売れている雑誌だ。そこに出てくる人たちは、日本にしかない新しい時代を創るやり方を模索している若い人たちや、社会からはずれても自分のやり方を通してきた年上の人たちだ。
・・・みんなどうしてしまったんだ、そんなにすごくならなくてもいいじゃないか、と思う。
今日みたもののことを考えたり、しゃべったりしながら、普通に友だちとか家族とかと過ごそう。仕事はそこそこできて、失敗もして、たまには達成もして、それを自分の誇りしよう。みたくもないものやしたくないことのために使う時間を減らそう。ただ漫然と生きているだけの時間を減らそう。でもしゃかりきに何ものかになろうとしたり、自分から発信したりなんかしなくていい、そんな疲れることはやめよう。ペースを落として、ひとつひとつの行動を寝る前に振り返ろう。一日健康でいられたことに、平和に、家族が生きていたことに普通に感謝しよう。
・・・こういう考えを「子供じみている」という古い考えと戦うために、私はちっぽけな小説をこつこつと、まずは自分の満足と楽しみのために書いていく。もしもそれを人が喜んで読んでくれたら、ほんのしばらくその中で憩ってくれたら、私の人生はもう充分すばらしい。デブでもものぐさでもブスでもバカでもセンスが悪くても何でもかんでも、もうそれで充分なのだ。
・・・個人の力はものすごく大きい。・・・一度閉店してしまった青山ブックセンターが復活したら、みんなにこにこして本を買っていたじゃないか。それはこれまでに店員さんがつむいできた大事なものが実ったからだ。一見評価されにくくても、個人の輝くところ、必ずそこには何かがある。
全ては自分の中からはじまり、幼いときから生涯を通じて続いてきたのだ。そのヒントは自分の中にしかない。自分はいちばんよく自分を知っている自分の友だちだ。今はその感じがばらばらで、みなとまどっているいるだけなのだ。本能の声を聴いて、耳を澄ませていけば、必ず自分と自分がぴったりくるポイントがあると思う。そしてそれが一致したとき、個人はとても大きな力で、日常を、周囲をてらすだろう。
よしもとばななが若さだけではなく、戦うべき相手と自分の立場を明確に理解していることが伺えます。
感性ではピカイチのよしもとばななが明確に自分の仕事を意識したことは、個人的には、最近の作品の目的の明確さにうなずくとともに、ますますこれからの作品が楽しみになりました。
この本もまだまだ明瞭明確というわけではありませんが、その断片がちりばめられ、玉石混合でありながらも楽しみことができました。
そういえばこの感性と目的の明確さはパウロコエーリョに似ていますね。