さだまさしのたくらみの深さ
解夏を読みました。これは、短編集で
解夏
秋桜
水底の村
サクラサク
と4作あります。
その中では、やはり、解夏がいいです。
眼をやがて失明する病にかかり、許婚と別れ、長崎の実家に帰る主人公。
主人公を追って、長崎にまでくる許婚。
そして主人公は、じっとその日を待つ。
簡単に言ってしまえばそんな話ですが、すべてが陽炎に包まれているような透明感のある長崎の描かれ方もいいし、主人公のそばでじっとたたずむ許婚もいい。
しかし、寺で会った僧侶に言われる、
「それは、修行ですなぁ」
というシーンがクライマックスでしょう。
不治の眼病も、修行だと思えばいい。
いつか失明するその日がくるまで、恐れ、その日になるとその恐れから解き放たれる。
つまり、それは「死」なのでしょう。
失明は恐ろしいことだが、誰にでも訪れる死を、少しだけ先に受け取ったということ。
そうであれば、生きていく不便はあるが、誰でも経験することを少しだけ先に学んだと思えばいい。
そんなことを、伝えたかったのではないでしょうか。
考えるに、「解夏」という言葉に出会い、さだまさしは、不治の、失明にいたる恐ろしい(しかし死ぬことはない)病と、男性の理想像のような許婚と、あまりの暑さに現実感のなくなる長崎の夏を選んで、我々に死の実感を、恐れて避けるものではなく、身の一部においておくものとして伝えたかったのではないのでしょうか。
しかし、人の機微をおさえている人です。
秋桜など、読むのも恐ろしい短編です。
作詞の腕がありすぎて小説を書き始めたのか、小説でないとかけない世界があったのでしょうか。
曲による情動ではなく、言葉だけでしっかりと世界を描きたくなったのでしょうか。
書くテーマとその表現、その二つが微妙にお互いを先導しあっていく。
そこもスリリングで、「うまい」作家になるのか、「よい」作家になるのか、油断ならないところです。
しかし、本業がある人なので、書き急ぐこともなく、じっくりと待てるのもありがたい。
ちなみに、個人的にはバンプオブチキンが、今、ストーリーものを歌わしたら一番だと思っています。
天体観測はすばらしかった。