子供が不登校になって気づいた本当の気持ちと幸せな日々 | HSP✖️不登校サポーターaikoᵕ̈*親と子を繋ぐ居場所作りをしています‍‍

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集団の場が苦手、人と話したいのに緊張して上手く話せない、場面緘黙症、共感性の高いHSPの気質をもつaikoだからこそ不登校になる子供の気持ちをくみとってきました。これから不登校の子と親を繋ぐ居場所を作ります ̖́-‬

この記事は消してしまうかもしれませんが、書きたいなと思ったので書こうと思います(^^)


約2年前に不登校になった息子、スマイルくん。
最初は、制服も着れなくて私服で学校へ行っていたことを思い出しました。



私服の方が目立つだろうに、何でだろう?と思っていると、制服で行くとクラスに行かないといけなくなると思っていたらしいのです。


上手く言葉にして伝えることができなかったのもあるけど、母親である私の思いも関係していたのだろうと今振り返ると思います。





最初は別室で給食を食べて帰ったり、給食にも行けない日は、放課後だけ担任の先生に会いに行ったりしていました。



私は、学校よりも学校外に居場所を作ろうと夢中で息子の居場所探しをしていました。



きっと必ず息子の居場所があるはずだと信じていて、動けば見つかると思っていました。



その居場所は、自分の想像していなかった学校という場所にありました。




自分が一番大嫌いな学校という場所に。


嫌いだったから、別に行かなくてもいいという気持ちでいました。
あんなしんどい場所にいる必要なんてないと思っていました。



先生なんてろくなものじゃないと思っていた気持ちがよみがえり、どうせ適当な対応しかしないのだろうとおもっていたのであてにしていませんでした。



息子の不登校と同時に自分の過去のトラウマが出てきて自然と学校への道を選ぼうとしませんでした。



そんな私の思いとは裏腹に、とても親身になって対応して下さる先生に何度も感動しては、先生=冷たい人という思い込みが消えました。



息子の不登校時は、妊娠中で、


今思い返しても不思議でたまらないのですが、私は確実に
お腹の中にいた長女、宝ちゃんの存在に助けられていました。



妊娠中にあの行動力は、今でも信じられません。
よくあそこまで動けたなと思うくらいで。
そのせいで切迫早産になりかけてしまいましたが

お腹の中にいてくれていた時は、安心感を沢山感じていて、この子が力をくれているとずっと思っていました。



私はどちらかというと体力がない方なのに毎日のように息子の為に動いていました。



不登校の情報をもらえる場所へ行ったり、お茶会に行ったり、学校に行かないスマイルくんと遊びに出かけたり。




そんな時間たちは、今思い返すとかけがえのない宝物になりました。



想いを込めたなと感じます。



あれから2年。


少しずつ先生と試行錯誤しながら今は毎日学校へ行っています。



今もクラスには入れないし、トイレも1人では行けません。
同級生を見ると緊張して隠れてしまいます。



そんな彼の姿を見て、私も本当は緘黙症の時にこんなふうにしたかったんだろうなと思わせてもらってばかりです。


私が本当にしたかったことを息子が目の前で毎日してくれるのです。



それは、過去の傷を思い出し時に心に大きく刺さることもありました。
でも今は、ありがたくてたまらなくなります。



傷ついて傷ついて、忘れてしまいたくて
感情をなくして忘れてしまった過去の思いを、思い出させてくれてありがとうと。




スマイルくんは、彼自身の課題もあるけど
私の為に不登校になって今の状態になっていると感じています。




私がクラスに入っても大丈夫だよってなればスマイルくんも入れるような気がします。



でも、それを望んでいないのです。



スマイルくんも私もそれを望んでいない。



今の居場所で充分だと思っています。




クラスに戻れたらそれでいいのか?



そんなわけじゃないことを、私も息子も分かっています。



そこが全てではないと理解できたから。



私の気質がもう無理だと言っている。


息子の気質も無理だと言っている。




こんなことを言うとおかしいと思われてしまうかもしれませんが、



息子が学校へ行かなくなって救われたのは、私だったのです。



これでもうクラスへ行かなくてもすむと思ったのが息子だけではなく私もでした。



息子が不登校になって、息子の母として学校へ行くというだけでもどれだけしんどかったのかということが分かりました。




私の中で何十年前の小学校の出来事は、今でも昨日のことのように思い出されるからです。



自分の中では終わってなくて、ずっと苦しいままでいた小さな頃の私がいたのです。



その小さな頃の私を不登校という形で救ってくれたのが息子でした。




長南華香さんのおっしゃる通りで子供は、本当にお母さんのことを助けたくて生まれてくるんだなと感じました。



長南華香さんは、子供はママにプレゼントを持ってきてくれて、そのプレゼントはママをイライラさせたり怒ったり、感情を揺り動かす形でもってくると言われています。


本当の自分の感情や思いに気づかせてくれる為に。



私も息子が不登校になり感情を激しく動かされ、過去のトラウマ、フラッシュバックなどが起こり、とてもしんどかったのですが、



当時は感じれなかった感情を感じることができて本当に良かったと思っています。



フラッシュバックも出てくるトラウマの感情も今、起こっていることではなく過去に起こった出来事での感情だと意識していました。



今の私だから、
受け入れることができるから
出てきている感情なんだと。



過去の感情で未浄化なものがあるならば、感じきった方が浄化されて次へ進めます。
経験しました。


そんな中でも今だに学校へ付き添いで行くのは苦手です。


送り迎えだけですが、苦痛なのは変わりません。



この年齢になって、毎日学校へ通うことになるとはねと密かに思ったりしています。



でも少しずつですが、前よりは苦痛度が減ってきていると感じます。



息子を学校へ通わせているのは、学校が息子の居場所だったからです。



心地よいサポートが受けられる場所が学校だったからです。



勉強はまったくしておらず、人間関係とコミュニケーションを学びに行っています。



勉強は、お家でタブレット学習です。



すごくはまっていて楽しくしています。



いいなぁ、私もこんな生き方したかったなぁ。




息子みていつもそう思います。




こういう生き方があるのかと。



私もあの頃にしてみたかった。




過去には戻れないので今からそういう
生き方をしていこうと思っています。



少しずつ

ゆっくりと

確実に

1歩ずつ



後退することがあってもいい。



そのことさえも自分の糧にしていきたい。



今の本当の自分の気持ちを大切にする。



そこさえちゃんと見れていたら



本来の自分で生きていくことができるから。




2年前に息子の担任をしていた時の先生が他の学校へ移動になりました。



最後の日にお礼の挨拶をしに行きました。



息子の為に沢山の心を配り、接してくれた日々を思い出しました。



放課後の忙しい中で息子と一緒に学校の中を見てまわって話しかけて繋いでくれました。


その他にも沢山、息子の為に動いて下さいました。



息子は、まだ幼くて分からないこともあるけれど、先生に接してもらい愛情をかけてもらったことは、心の中でずっと生き続けて、彼を支えていき、動いていける力になると思っています。


そんなことを伝えました。



『先生が絶対に守ってあげるからね、大丈夫だよ』



息子が学校へ行きたくないと言った時に先生が言ってくださった言葉は、今でも私のインナーチャイルドに響いています。



その言葉で本当に救われたのは私だったのかもしれないと。



子供たちにありがとうです。



今では制服を着て学校へ行く息子です。



この2年間で新しい家族も増えて、旦那さんとの絆も強くなり、いろんなことがありました。



いつか旅立つ息子の為に今自分ができることをしていきたいと思っています。



そんな私は、今まで生きてきた中で一番幸せな日々を過ごしています。



これ、いつも思うのですが、思う度に幸せ度がアップしています。



過去に思っていた一番幸せだなと思う気持ちよりも今の方がもっともっと幸せです。