場面緘黙症を経験し克服して思うこと | HSP✖️不登校サポーターaikoᵕ̈*親と子を繋ぐ居場所作りをしています‍‍

HSP✖️不登校サポーターaikoᵕ̈*親と子を繋ぐ居場所作りをしています‍‍

集団の場が苦手、人と話したいのに緊張して上手く話せない、場面緘黙症、共感性の高いHSPの気質をもつaikoだからこそ不登校になる子供の気持ちをくみとってきました。これから不登校の子と親を繋ぐ居場所を作ります ̖́-‬

話したらびっくりされるんですが、私は元場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)でした。


学校や幼稚園などの集団生活の場で極度の緊張の為に話せなくなってしまう症状です。






周りの人で助けてくれる人は、1人もいませんでした。


イジメにもあいましたが、ひたすら1人で耐えるしかありませんでした。




場面緘黙症に関わる方の投稿をネットなどで読んでいて、親の立場や当事者の立場、いろんな方の思いを感じて考えさせられる事がたくさんあります。
私は当事者の立場です。

それぞれの立場で見え方や考え方も違い、緘黙症でも個人、個人で対応やしてほしいことも違うので難しいなと思います。

大きな部分で共通している症状や状態は、同じように見えますが細かな部分になると個人で違ってきますよね。

その人の生まれ育った環境や考え方でまったく思いが違ってくるので、この考え方が絶対に正しいと言いきれないところがあります。

同じ緘黙症でもどれだけステップがふめているかで対応するアプローチは、違うと思います。

自分が緘黙症だった時にまったく話す事ができない状態から話せるようになった今。
その過程で頑張ってきたことが違います。

本当に話せなかった時は学校以外の安心できる場所でコミュニケーションを学びました。
この場所がなかったら社会に出た時に大変だったかもしれません。
学校以外の場所でも話せる時もあれば話せない時もありました。
自分が話せないことを知らない場所や話せなくても気にしない場所でコミュニケーションを学びました。

なので高校を卒業してからは、知らない場所でのコミュニケーションスキルがついていました。
何年かかけて身につけたものです。

そして卒業後に待っていた試練があります。
これは、ある程度話せるようになって以降、緘黙症の方が一番しんどいところかもと思うのですが、自分の意志を知り、認めて生きていくということ。

緘黙症時代、どうしても自分の意志が出せずに相手に合わせて生きていくしかなかった方が多いのではないかと思います。

私もその1人で、話すことができずに自分の意志が出せない学生生活を送ってきたせいで友人との関係も恋人との関係も周りとの関係全て、自分が合わせるというやり方になってしまっていました。
それが当たり前になっているので本人は無自覚なのです。

私が大人になって受けたカウンセリングでまず言われたことは、もっとワガママになってもいい、好きなことをしてもいい、相手に合わせなくてもいい、実は心の中でたくさん我慢しているんだよ。でした。

そう言われてもピンときませんでした。
長年培われてきた生き方は、骨身にまで染み付いていました。


{EE6779F8-77C6-4FCC-8C3B-A72A00E05233}



その生き方のせいで本当に自分ではどうにもならない困難な事にぶつかった時に、他人にしか合わせられないので、本当はこうしてほしいのにと思っているのに自分の意志や思いを伝えられることができずに精神がおかしくなったことがありました。



これがまたやっかいな事に、周りは合わせるのが私の性格だと思い込んでいるので、頑張って勇気をふりしぼって自分の思いを伝えたところで却下されてしまうことがほとんどでした。
緘黙症に理解がある方が身内にいてくれたらいいですが、いなかった場合はしんどい思いをすることになると思います。
その頃の私は、自分が緘黙症だったことを知らなかったのでただひたすら耐えるしかありませんでした。
時間がたち冷静に分析できるようになった頃に緘黙症のマンガを主人に読んでもらったりして理解をしてもらうように努力しました。

でも最終的に理解してくれない状況がなくなったのは


自分の意志を貫き通す。
嫌なことは、嫌と伝える。
助けてと言えるようになる。
ということをし始めた時からでした。

今まで自分の意志を話しても周りはみんな無視か無理解だったので、ここをしていくことはとてもきつかったです。
でも、死にたいと思うくらい追い詰めらて、もうこんな人生は嫌だと思い、周りにいるのが自分らしく生きることを認めてくれない人たちなら、自分から離れてもいいという覚悟をもってぶつかり、ようやく分かってもらうことができました。

人生で一番頑張ったことかもしれません。

それまでも生きていく中で何度も辛いことがありましたが、ここを乗り切ってからは人生ががらっと変わりました。

関わる人たちも変わりました。
何より自分自身が楽になりました。

そんな今も集団が苦手でいずれは、やらないといけない苦手な事があったりするのでしんどさはありますが、助けてが言える自分になれたことが昔とは違うところです。

今からも苦手な事と向き合ってそれを越えてできるようになり自信に変えていく人生にしていくことになると思います。
どうしてもできないことは、やりません。
でも苦手な事でも頑張ってチャレンジしていきたいという、怖いけどやってみて自信に変えていきたいという強い気持ちをもつことができるようになりました。
そうなれたのも一番ネックな問題と向き合ったからだと思います。
今でもステップをふんでいる私です。

助けがなかなか得られずに1人で頑張ってきましたが、もっとフォローしてくれる人たちがいればと思うことが何度も何度もありました。



最終的に身近にいる人たちではだめだったので、自分で助けてくれる人を探しました。
身内に理解がないことが何よりしんどかったです。



落ちるところまで落ちた時期もありました。

緘黙症であったことで苦しいばかりの時期を過ごしてきた私でした。
でもちゃんと向き合ってきて、今ご褒美をもらえています。




私が受け取ったご褒美とは、目に見えない人の優しさでした。
その事もまた書きたいと思います。