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ほんだな

本棚から本を引っ張り出して読むように、新たな驚き・発見・喜怒哀楽を得ることができるそんなブログでありたいです。

 前編では、中山秀征さんについて考えてみたが、後編は、名倉潤さんについて考察する。

 

 ネプチューンのリーダー。ボキャ天芸人として、爆笑問題、海砂利水魚(現・くりーむし

ちゅー)、昨年、ピコ太郎で大活躍した古坂大魔王もその時代の戦友である。このトリオ構

成員には、原田泰造・堀内健の二大ボケキャラが所属している。妻である渡辺満里奈には尻

を敷かれるも、愛妻家・良きパパでもある。

 

 しかし、中山秀征さんと同様、芸能界に埋もれた存在である。なぜなのか、と考えたら、

上田晋也の快進撃」が裏にはあると考察する。テレ朝「銭形金太郎」では、名倉はMC、

くりぃむ上田は、いちビンボーさんのサポーターであった。

 

 それが、今ではどうだろうか、上田晋也さんは、土日の日テレの顔(生放送の「Goin

g」、土曜日の「世界一受けたい授業」、日曜日の「おしゃれイズム」)であり、ポスト島

田紳助とも表されている。

 

 なぜ、名倉との格差が生まれたかというと、ネプチューンとくりぃむしちゅーが現在も共

演する番組「しゃべくり007」にある。有田哲平と上田晋也の、くりぃむしちゅーが、名

倉・原田泰造・ホリケンのネプチューンを、芸能界のステータス的に超えてしまった。と同

時に、MC力もも、上田晋也が名倉潤を、遥かに越えてしまった。

 

 「ボキャ天」、と、「銭形金太郎」を知っている僕らは、この二組、と、この二人に違和

感ともどかしさを抱いている。「しゃべくり007」は、コーナーやゲストにより、司会を

、上田から名倉とバトンを譲る時期があった。そもそも、従来は、チュートリアル含めて、

7人がMCしたい(場を回したい)というのが番組の裏テーマであった。しかし、、上田は

仕切り。名倉は、ひな壇の一人となってしまった。

 

 上田晋也の活躍により、名倉潤の評価すべき箇所を指摘する機会が無くなった。そんなと

ころが、名倉潤について語られることが少なくなった。

 

 以上、僕(ぼくら)の考える、中山秀征論と、名倉潤論である。繰り返しになるが、こん

なに、この二人について、語りたくなったのが、武田砂鉄さんの「芸能人寛容論」に触れた

からだ。(完)

 

 

 

 

 この著書、「芸能人寛容論」は、中山秀征名倉潤(ネプチューン)という、ナベプロでは

重鎮となった、2人の人物を深く適切にじっくりと分析している、稀有な一冊である。そこで

、「ぼくらの中山秀征論」、と、「ぼくらの名倉潤論」について考えてみたい。

 

 中山秀征さん。通称、ヒデちゃん。僕らの世代(30代前半)は、「クイズ!年の差なんて

のヤングチームの2枠(1枠は森口博子、4枠は、やたらフリップに茄子の絵を描く、ゆうゆ)で

、シンキングタイムに鼻につきイラッとさせるダンスに始まる。「THE夜もヒッパレ」では、

ホスト役の三宅裕司の存在感をかき消し、とにかく大物芸能人への接待芸を披露。「DAI

SUKI」では、脇に飯島直子と松本明子、真ん中に秀ちゃんとの、男1、女2の三人組の

王道の立ち位置を築く。

 

 そんな彼のウィットさ満載、生放送での司会芸は「ラジかるッ」そして、みのもんたの勇

退により鳴り物入りでスタートした「おもいッきりDON!」。その後、「DON!」と改題。奇し

くも、「ヒルナンデス!」が定着するまで、日テレの昼帯番組の闇歴史の2年間を創りあげた

 

 今は、朝の「シューイチ」、正午の「うちクル!?」と日曜日の顔として、第一線で活躍し

ている。でも、これらの略歴は、

 

「メインを張ったらイライラする。しかし、ヨイショ芸をさせたら日本一の古典的な芸能人

のひとり。」

 

で片付けることができる。ここまで彼のフィーチャーすべき所を語れる人間は多くはいない

。そんなポジショニングを今尚続けている中山秀征さんは、もっと評価されても良い。芸能

界でありふれた存在なんだけれども、いざ語ろうと思ったら語れない、愛すべき秀ちゃん。


 そして、ナベプロの直属の中山秀征さんの後輩が、名倉潤さんなのだが、その続きは後編

に。

 

 

 

課題図書:「どこかでベートーヴェン」中山七里(宝島社文庫)

 

 岐阜県立加茂北高校音楽科のひとクラスを舞台とした殺人事件ミステリー。謎の新入生、ピアノの神童、鴨洋介(みさきようすけ)が突如現れる。有り余る彼の才能をうらやましく思い彼にちょっかいを出していた同クラスの岩倉智生(いわくらともお)が不審死する。そして、あらぬ嫌疑が岬にかけられる。その後、彼の後見人の鷹村亮(たかむらりょう)を中心に、クラスメイトの関係が滅茶苦茶にかき乱されていく。

 

 以上があらすじ。中山七里の音楽モノのミステリー作品シリーズ。ミステリー要素よりも、高校生の音楽に向き合う姿勢が非常に勉強になる。

 

 音楽で食っていくことを夢見てたが挫折した高校教員・棚橋が、殺人事件に見舞われ、かまってちゃん化したクラスの生徒に向かって、熱い一言。
 
 そんな(この音楽科に属しているという安泰な)気持ちで、音楽に向き合っていたら、将来痛い目に遭う。結局は、他者の才能をうらやんでいて努力をしようとしない。矛盾するが、どれだけ努力をしようとも、花咲かない奴もいる。それだけ才能は無情なモノだ。けれども、努力しないで、ただ、当たり前の環境に浸っている奴が一番最悪なんだ。

 

 と、仰るとおりのこと、けれども、学生以降の、大人の階段を上ろうとする人間に、熱いメッセージを送っている。ミステリものなのに、この人生論を伝える技術は巧み。

 

 音楽科しかり、様々な高校や大学生生活を送っている人間にも、この論理は言えるのではないだろうか。この偏差値の高い学校に所属していれば、学業さえしっかりとしていれば、それなりの安泰した進学先・就職先・専門職にたどり着くことができる。

 

 といいつつ、世渡り上手な人もいる。流れに身を任せて、それなりの社会的ステータスを得ている人もいます。けど、そんな人生が一番つまらないんじゃない。

 

 「当たり前から離れること」。

 

 そういう境遇にあってしまった人。逆に、そういう選択肢を取った人も、肯定すべきじゃね?。そんなことを感じてしまった、そんな一冊。