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ほんだな

本棚から本を引っ張り出して読むように、新たな驚き・発見・喜怒哀楽を得ることができるそんなブログでありたいです。

6月23日金曜日は、学年ひとつ上しか変わらない女性キャスターの訃報に悲しみました。

しかし、24日土曜日は、大垣市のイベントホールで、17年ぶりに、高校のひと学年先輩と再会し、その先輩のピアノで奏でる音楽を聴き、思わず、嬉し泣きしてしまいました。演奏中に、ざわざわ私語しているおばさま方が周りにいるのに、女性ボーカルも加わった、MISIAの「everything」には、涙腺崩壊してしまいました。

終演後は、その先輩と、20分ほど話をさせて頂き、Facebookでは繋がっていましたが、中々会えずにいたので、学生時代の話に花が咲き、特に、唄の活動を再開している事を知って、本当に嬉しいとおっしゃっていました。そして、その苦悩の空白の期間のことにも思いやりの言葉も頂きました。その演奏と語らいで、その17年の、なんと言うか、モヤモヤ感が快晴になる、晴れやかな時間でした。

過去→現在→未来の流れ。その左から右に流れる時間軸は、時に、無情で嘆き悲しむこともあります。奈落の底に落とされ泥水啜る事もあります。でも、現在から過去に遡るよりも、現在から未来の時の勢いに任せてオールを漕ぐ生き方をしたいです。

本当に音楽の神様は居るんだなぁという週末でした。そんな音楽に添い遂げたい。

 「新手のタイプの読書好きな人間」としては、単行本として出版された小説を購入し、その後、文庫化されると、そのニューエディションも入手し再読する。普通の(読書好きな)方々でも、「単行本を再び読み返せば良いのでは無いか?」と思われるでしょうが、そこは致し方ない事。ご理解頂きたい。


 更に私は、読書日記を綴ることも日課にしている。最初は、LOFTにてステーショナリー売り場で発掘した「ワナドゥ!!手帳」の読書版を購入していたのだが、結構な金額のため、無印良品のB5、B4ノート、時には、携行するほぼ日手帳やネタ帳に集約することもある。


 まあ、私のクダラナイ基礎知識を前置きして、湊かなえさんの「リバース」を、文庫版として再読してみた。再読の環境としては、岩盤浴兼大浴場を兼ねた温泉施設にて、汗ダラダラかきながら読了した(ただし、汗でぬれないように、布製のブックカバーはしっかりしておいた)。

 

 以下、単行本として(初めて読んだ際)の「リバース」の日記である(※ネタバレ注意)。

 

 誰が得をするというより、みんな損をしている。事実関係としては、スッキリとするエンディングだけれども、全員心晴れやかになる結末では無い。酷だけれども、それがこの物語の面白い展開。亡くなった広沢、その恋人だった美穂子が、一見かわいそうに見える。しかし、一番可愛そうなのは、そんな二人にジェラシーをかんじていた、この二人に密接に絡んでいた人のひとり、古川大志だったと。彼は、一生、広沢を見下して、嫌~~~な人間として、一生を終えるのであろうと。そういう繊細な人間関係を掻くのが巧み(人物相関図を添付しておく)。

 


 登場人物は少ないのだが、複雑に絡み合った人間関係の絡み合いで、湊かなえ作品としては一番楽しめたかも知れない。得に珈琲好きの深瀬が、必ず要所要所に、珈琲に関するワンポインターを挟んでいく。まさに、喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら読むのに最適。

 

 よくよく、こんなに凝った文章を書いたモノだ。ここから、再読したことに辺り、前述の読書日記を添削していく。

 

「みんな損をしている」
 記述としては、「この一冊で、得する人・損する人」とすると面白かろうに。けれど、このボケは封印。


「繊細な人間関係」
 私の視点から、「繊細な作品」とは、ただ単純に、本を開き、頁をめくるとすぐに、人物名・人間関係・役職や地図などが記載されている作品。ただ、この作品はそれに該当しないので、個人的観測としては、そうは複雑では無いことだと訂正させて頂きたい。


「湊かなえ作品としては、一番楽しめた」
 ごめんなさい。ウソです。本当は、「高校入試」です。謝罪します。

 

 まあ、こうやって、反省文のような振り返りができるのも、「再読」そして、「読書日記を綴ること」の醍醐味かも知れません。実は、こんな風にまとめた読書日記(手書きだけで無く、パソコンのテキストにも)が、膨大なデータベースと成しているので、今後もこのブログでアップしていきたい。

 

 

 

 

昨日は、とある演奏会で、ジーンときたのと嬉しくて涙を流しました。ひとつの実際の生の音楽を聴いて泣いたのは、人前では久し振りでした。

音楽に携わった事により、どん底に落ちて、泥水を啜る思いをしたのに、音楽に救われて、今は、唄う事に携わり、音楽療法なのか分かりませんが、体調もほどほど、回復をしてきて、そんな音楽という存在、未だ分からずにいます。

でも、音楽で、人と繋がりを持つことができるのは、確かです。ひとつのコミュニケーションツールでも、あります。言語、ボディーランゲージと共に。

実は、唄う活動の繁忙が原因のひとつで、2度ほど、病院に入院したのですが、なぜか、週に一度のレクリエーションがカラオケの回に当たることが頻繁で、入院患者さんの前で、唄を披露する羽目になりました。

音楽を(唄う事を一時的に)断つ為に、休んでいるのに… と病院の看護師さんや、スタッフさんに愚痴をこぼした事もありました。しかし、手前みそですが、唄のうまさ(メッセージ性の強さ)に、僕の歌声の響きで、皆さん聴き惚れたのか分かりませんが、病棟がシーンとなる事もありました。やはり、如何なる理由があるとも、僕には、音楽を断ち切れない宿命があるのでしょう。

もう2度と人前で唄わないと決め込んでいたのが、週に2度は、思いっきり丹田を使って唄わせて頂いている。まぁ、「それで良いっか⁈」って思っています。

やるからには、喉や体調に十二分に気を使いつつの条件で、次のフェーズに進みたい。いきなり高い目標じゃなくて、階段を一段一段のぼり、自分の可能性を、プラス1を続けて、越えていきたい。

美しい(時にはそうでない場合もありますが)音楽を聴きつつ、皆さんのご協力と御支援のもとで唄を披露したいし、生きる印として、ずっと残していきたいです。どうぞよろしくお願いします。天狗にはならず謙虚にね。