音楽に携わった事により、どん底に落ちて、泥水を啜る思いをしたのに、音楽に救われて、今は、唄う事に携わり、音楽療法なのか分かりませんが、体調もほどほど、回復をしてきて、そんな音楽という存在、未だ分からずにいます。
でも、音楽で、人と繋がりを持つことができるのは、確かです。ひとつのコミュニケーションツールでも、あります。言語、ボディーランゲージと共に。
実は、唄う活動の繁忙が原因のひとつで、2度ほど、病院に入院したのですが、なぜか、週に一度のレクリエーションがカラオケの回に当たることが頻繁で、入院患者さんの前で、唄を披露する羽目になりました。
音楽を(唄う事を一時的に)断つ為に、休んでいるのに… と病院の看護師さんや、スタッフさんに愚痴をこぼした事もありました。しかし、手前みそですが、唄のうまさ(メッセージ性の強さ)に、僕の歌声の響きで、皆さん聴き惚れたのか分かりませんが、病棟がシーンとなる事もありました。やはり、如何なる理由があるとも、僕には、音楽を断ち切れない宿命があるのでしょう。
もう2度と人前で唄わないと決め込んでいたのが、週に2度は、思いっきり丹田を使って唄わせて頂いている。まぁ、「それで良いっか⁈」って思っています。
やるからには、喉や体調に十二分に気を使いつつの条件で、次のフェーズに進みたい。いきなり高い目標じゃなくて、階段を一段一段のぼり、自分の可能性を、プラス1を続けて、越えていきたい。
美しい(時にはそうでない場合もありますが)音楽を聴きつつ、皆さんのご協力と御支援のもとで唄を披露したいし、生きる印として、ずっと残していきたいです。どうぞよろしくお願いします。天狗にはならず謙虚にね。