ちょっと気を抜くと、更新が大幅に遅れてしまう。今読んでいるのは『金閣寺』。金閣寺に魅せられて、ついには放火してしまうのだが、火をつけることを決意というか、思い立ったときの言葉「金閣寺を焼かねばならぬ」がいい。


金閣寺の美しさにやられてしまい、女と二人でいるときにまで金閣寺が頭に現れる。もう、ちょっとイッちゃってるとしか思えない。そんなに好きなのに、なぜ焼こうとするのか?ジョン・レノンを好きすぎて暗殺するようなものなのだろうか。


主人公の友人が突然死んだり、何の苦労もせずに次々と女をものにしていくところが『ノルウェイの森』に似ている感じがした。これが好きだから、ついそこへ引き寄せて考えてしまうだけかもしれないが。


いよいよ主人公が、放火の前の儀式として郭へ行き、裏をかえしたところまで読んだ。


金閣寺が燃える部分は、明日のお楽しみ。

『民主主義が一度もなかった国・日本』宮台真司・福山哲郎 幻冬舎


二人の対談だが、やはり宮台真司は学者なので話していることも細かいし、セリフが長い。この二人は付き合いも長いそうだ。こういう対談ものって、テープ起こしして原稿にするんだろうけどけっこう手間だろうな、とも思ったが、最近はiPhoneなんかでも宣伝されてる音声認識のgoogleじゃないけど、話した言葉がそのまま画面上に文章として出てくるかなり完成度の高いソフトもあるようだし、そういうのを活用しているのだろうか?


民主主義をバスの運転手と乗客に例えたところはわかりやすかった。政治家がバスの運転手で乗客が我々。運転を任せていたら、いつの間にかガードレールを突き破って、崖から落ちる寸前まで止まった。そして、我々は運転手を交代させた。だが、運転手も素人なら我々も素人。いちいちどう運転するかを支持しなければならないが、運転手のミスや乗客たちの頓珍漢な指示でバスは迷走・・・。


政治家を馬鹿というのは簡単だが、それを選んだのは有権者だし、まずは有権者の民度を上げなければ、と宮台真司が前に何かで書いていたのを読んだが、まさにそうだ。自分たちで選んでおいて、馬鹿はない。もちろん、期待はずれや見当違い、ということはあるが。ほとんどの有権者(自分もその一人であろうが)は「気分」や「雰囲気」で誰に投票するかを選んでいるのではないか?ポスターの顔写真とかの。


後半、「外交問題としての環境問題」が面白かった。ちょうど今自分は電気自動車+太陽光発電+風力発電が地域を救う、と思い始めているところだったので。琴線に触れるような部分がたくさんあった。まぁ、当たり前だがこういうように関心のあるテーマが出てくると、新聞等を読んでいても、俄然面白くなってくる。No topic is interesting if you are not interested.


電気自動車普及社会に移行するには、多大な設備投資が必要となる。だが、このふたりは結構楽観ししているようだ。山本七平のいう「空気」などを引き合いに出して、一見日本の社会も変わらなそうに見えて、今までの慣れ親しんだものから新しいものへと一気に豹変するのでないか、と。


新たしいゲームが始まった、というキャッチフレーズでやればいいというがまったく賛成。「CO2削減ゲーム!」とでもいって、どんどんやればいいのに。このゲームに参加しないと置いてけぼりをくらう、という流れになってしまえばこっちのものだ(どっちだよ?)と思う。


地球物理学者 松井孝典「CO2が温暖化の主犯か否かは不確かだが、地球圏における人間圏の大きさを最小化することが、地球圏の維持に良いのは確かだ」p206


これは、以前出版された自伝作『ハイスクール1968』(新潮社)の続編にあたる。前作をとても面白く読んだのにも関わらず、その続編が出ていることには全く気づかずにいた。さっそく購入して読んだところだ。


前作の『ハイスクール』は彼の高校から大学入学までの話なのだが、そこに出てくるのは、およそ自分の身の回りにはいない(そして、自分自身もまったくそんな人間ではない)ような、早熟で(多少、自意識過剰ぎみともいえるが)、勉強もでき、読書家で、仲間も多い高校生であった。自分には足元にもおよばないほどの読書量、見た映画の本数も半端ではない。そして、その克明な記憶・記録にも驚かされる。また、高校からして進学校なので、当時の同級生たちもその後、多くが各界で活躍する有名人となっている。当時の進学校に通う高校生たちがどんな"生態”だったのか、ということへの関心も手伝ってとても興味深く読んだ。


もともと四方田犬彦の本は、好きだったのでほかにもいくつか読んでいたが、この『ハイスクール』は特に面白かった。今回読んだ『歳月の鉛』はその続きで、著者が大学に入学してから大学院を出るまでの話だ。


読み終えて、どうして自分はこの2冊の本を面白いと感じたのか考えてみた。もちろん、当時の著者の考えや世相などがわかって面白い、というのもあるのだが、一番大きいのはこれだ。色々な本や人名、映画などの固有名詞が出てくるから。そういった固有名詞を知るだけでも、面白いのだ。その大半を、知識不足の自分は知らないのだが、そういう世界が広がっているということを垣間見られるだけでもとても面白い。そして、自分もこの先読んでみたいと思うのだ。まぁ、言ってしまうと単純に「自分のあたまがよくなったような気がするから」だ。


大学院を出たあと、日本語講師として韓国の大学へ赴任するのだが、もしさらにこの次回作が書かれるとしたら、この部分から始まるのだろう。それもまた、読んでみたい。


今回、内ゲバについて書かれている部分があるが、どう考えてみても、大学構内や"キャンパスライフ”謳歌中に殺人やリンチといったことが入り込んでくるような状況を、自分の学生時代を振り返ってみても想像できない。


初めて四方田犬彦の本を読んだのは『大好きな韓国』(ポプラ社)か『ソウルの風景』(岩波新書)だったと思う。NHK教育で「大好きな韓国」というのをやっていて、四方田を知ったような気がする。自分も韓国に滞在していたことはあるが、日本と韓国を行き来する女性の中に化粧を"日本風”"韓国風”と変えている人がいるのには驚いた。自分も女性だったら、ちょっと試してみたいと思った。


読んだ本がみんな面白かったわけではない。『人間を守る読書』(文春新書)は、彼が色々な媒体に書いた文章を集めたものだということを知らずに読み始めたこともあるが、読書が「人間を守る」ものなのだ、ということには特に言及がなかった。ただ、ひとついい言葉を覚えた。中国の古い言葉だという。



「三日本を読まないと、下に棘(とげ)が生える」



この感覚は理解できる。この表現も、うまい。