須知徳平 Verから

 

義務を重荷と感じそれを嫌うなら、義理が直ちに現れてきてその人が義務を怠ることを防げるのである。義理とは本来、父母に使える行為の唯一の動機は愛、しかしそれが欠けた場合孝行を命ずる何らかの権威が必要、そこで人々はこの権威を義理ということで形成していった。同じ儀でも武士道の正しい勇気と信念がなければ義は正しい道理から外れ詭弁と偽善の隠れ蓑となり、卑怯の巣とかしただろう。

 

 勇気は儀の為に行われるものでなければ徳としての価値はほどんどない。北条氏により交易路遮断、謙信が信玄に「我の貴公と争うところは弓矢にありて米塩にあらず」と塩を送った。

 

 礼式は一定の結果を達成するために長年の体験から生まれた最も適切な方式。何かをなそうとするには必ず最良の方法があるはずで、その最良の方法は最も経済的であると同時に最も優美なる方法である。

茶の湯の道は精神的修養の実行方式にほかならなかった。礼儀は塵埃と謙譲の動機より発して、他人の感情を洞察する優しい感情によって動く、同乗の優美な表現である。例が要求することは悲しむもの共にに悲しみ、喜ぶものと共に喜ぶこと。

 

 商業はさげすまされた為、自然と世間の評判などを気にしない人が集まった。そんな中武士が廃止され、公債を与えられ商業に投資しても、不慣れな分野で利にさとい商人と対抗し競争しても、駆け引きも知らず回復しがたい失敗を招いた。これにより諸外国との通商は評判が良くなかった。

 

 金銭を武士道から分離できたことが、色んな弊害から免れて武士道を維持することに役立った。

 

クラスから

儀の語源は犠牲

忠義=儀に忠しく、誤ったことであれば上司を羽交い絞めにしても正すという意味

儒教は仁(思いやり、やさしさ)をトップに

武士道は義(人としての正しい行い、利害損得を捨てて)がトップに (これはリーダーシップを求めるものを優先しているから)