一ノ瀬泰造とは、内戦時代のカンボジアに単独で潜入したカメラマンである。


当時のカンボジアは弾丸が飛び交う戦場。幾度も命の危険にさらされている。そのときの手紙や日記が1冊にまとめられており、またその本を原作として『地雷を踏んだらサヨウナラ』という映画にもなった。


彼が命を賭けてでも見たい、もしくは、反政府軍クメール・ルージュに占領された『アンコール・ワット』を写真に収めたいと思った、その『アンコール・ワット』を僕もこの目で見てみたい。

現在でもカンボジアには、内戦の傷跡のように地雷や不発弾がまだ多く埋まってはいる。その当時、アンコール・ワットは解放軍に占領され、その本拠地となっていた。

『地雷を踏んだらサヨウナラ』とは、彼が『アンコール・ワット』に潜入する決意を伝えた、友人への手紙に書かれた言葉である。きっと「死ぬ覚悟」があったのだろう。

事実、1973年11月22日、彼はアンコール・ワットに向かい、そのまま消息を絶ってしまった。


9年後、彼の両親により死亡が確認されることとなる。享年26歳。

彼は戦場のカメラマンの最高の栄誉であるキャパ賞を狙っていて、当時、『アンコール・ワット』の写真は驚くほどの高値で売れるという状況下で、その功を求める虚栄心があったとは思う。しかし、純粋に『アンコール・ワット』を自分自身の目で見たいという気持ちがあったのも紛れもない事実だと思う。


カンボジアが平和な時代にあっても、彼は『アンコール・ワット』に惹き寄せられたであろうか。そして、人生の幕をおろす前に、『アンコール・ワット』を目に焼き付けることができたのであろうか。

映画における浅野忠信扮する一ノ瀬泰造は、『アンコール・ワット』を見上げるシーンで終わる。でもその部分はフィクションであり、事実は誰にもわからない。

魔王

事故で両親を早くに失った安藤兄弟。兄は何に対しても考え過ぎのきらいをもち、弟の潤也は兄とは対照的に、勘や閃きに頼りがちな性格をもつ。

弟には彼女がいて、3人で暮らしていた。

ある出来事がきっかけで、兄は自分に特殊能力が備わっていることに気付く。その能力とは、30歩圏内にいるナマの人間に意識を集中することによって、自分が念じた言葉をその相手にしゃべらせることができる「腹話術」という能力である。

その頃、世間を賑わせていたのは、次期政権奪取をめざす、犬養という政治家だった。折しもサッカーの日本代表の中心選手がアメリカ遠征中に殺される事件が起きる。

反米感情を露にする国民は、世界の強国に対して強い姿勢を示す犬養に共感をもち、犬養を支持するようになる。すべては裏で犬養が暗躍しているように思えるが、はっきりしない。

ファシズム的様相を見せる日本を憂え、「腹話術」を武器に安藤兄は立ち上がる。選挙演説中の犬養に近づき、犬養の体面を崩すような言葉をしゃべらせるが、思い通りには事は運ばす、安藤のもつ武器以上のなにものかの力によって、殺されてしまう。





呼吸

安藤兄が死んでから、5年後から話が始まる。

潤也は既に彼女と結婚していて、犬養は政権を握り、総理大臣になっている。兄の突然死以降、潤也は自分がツイてると感じる。じゃんけんは負けないし、10頭立ての競馬の単勝なら、百発百中。そんな自分の背後に亡き兄の存在を感じはじめる。競馬で儲けた金を武器に兄の意思を継ぐ決意とともに、物語は終焉を迎える。



伊坂作品の非科学的な部分に読むたびに「ありえない」という思いを持ちながら、つい読んでしまう。また説明できないツキを感じることもある自分の人生を思うと、そんな不思議な力を制御できる人間がいてもおかしくないと思う自分もいる。

伊坂文学にやられてるのかな。

第139回直木賞受賞作品。


小さな島で起きた1年分の小さな出来事。


主人公のセイは島で生まれ育ったが、島出身の画家陽介との結婚を期に島に戻り、小学校の保健の先生にな


る。学校の同僚に月江という教師がおり、この月江は「本土さん」と呼ばれる本土で酒屋を営む情夫がいる。


この二人は人目をはばからず、自由奔放な愛を営んでいる。


そこに石和というあまり自分の素性を明かさない独特の雰囲気をもった男が、新しい教師として島にやって来る。


夫とは幸せな生活を送りながら、次第に石和に惹かれていくセイ。


タイトルの「切羽」とは、トンネルが開通する前の行き止まりを表す言葉。


すなわち、夫を持つセイの石和に対する恋を象徴する言葉である。


ある事がきっかけで、月江は石和とも恋に落ちる。


セイの安定した生活を妬む月江、月江の穏やかではないが自由な恋愛をうらやむセイ。


両極的な二人の恋愛が対照的である。


静かな大人の恋愛模様が描かれているが、あまりにも静かすぎて物足りない。


そんな恋愛があってもいいとは思うが、わざわざ時間をかけて読むほどのものではないと思う。











10代の時に犯罪に巻き込まれ、その時出会った婦人警官の影響で警察官を志願したというベタなシナリオ。


そして捜査スタイルは地道な裏付け捜査とはかけ離れた直感に頼る。


ハードボイルドを期待していると、裏切られた感はあるが、それ以外の登場人物のそれぞれのキャラが


エッジがきいて、かなりみずみずしいので、ベタな部分を補ってあまりある面白さ。


青いビニールシートにくるまった10体もの死体が見つかる。


ネットで会員を集めた「殺人ショー」の犠牲者ではないかと推測し、捜査は進展する。


違法捜査により、ネットの会員の素性を洗うと、思ってもみなかった男の名前が捜査線上にあらわれる。


犯人の子供のころに親から受けた虐待のシーンなど、不潔極まりない描写が見られるが、


娯楽エンターテイメントしては、十分楽しませせてくれる1冊。



ある教師の学校を去る挨拶から始まる。


今までの思い出を話す中、衝撃的な事実を告げる。


「このクラスの中に私の娘を殺した生徒がいる」と。


この一言でクラスの表情が一変する。


この発言のあと、この教師は二人の自分の生徒である殺人者に言葉の時限爆弾を仕掛ける。


すなわち、その日に二人が飲んだ牛乳パックの中にエイズに感染した血液を注入したと告げる。


日本の司法制度に任せても、未成年ということで重い罪は科せられない。


そこで私刑に踏みきるのである。時限爆弾には弾薬が入っていないため爆発することはないが、


仕掛けられた二人の生徒たちは、いつ爆発するかわからない恐怖に脅かされる。


相手は小学生の子供である。一人は精神に異常をきたして自分の母親を殺害し、もう一人は更なる殺人を


犯すまでに追い込まれ、結果的には自分の母親をも殺してしまう。復讐劇は完成する。


実際には、爆薬が入っていないところに人間のズルさを感じる。


仮に事が公になっても教師自体は安全な場所を確保することができる。


もし万が一、有罪になっても微罪ですむ。それなのに効果は絶大。


悪意をもった人間の怖さを教えている。


また自分がエイズに感染しているかもしれないと怯える子供の描写は、人間の弱さをうまく表現している。


同じシチュエーションにおかれたら、大人でも同じような行動をとるだろう。


この小説の面白いところは、加害者でもあり人間が被害者でもあり、また被害者である人間が加害者でもある


ところである。正義の味方であるべき教師が悪人であり、無垢な子供たちも悪人である。そのくせ、全員が


どこかにやさしい心を持っている。そのバランスが絶妙で、読み手をぐいぐい引き込んでいく。


文章も読みやすく、あっという間に読める小説だが、さまざまな角度から考えさせられる極めて奥の深い


傑作である。