両親が他界し、父方親族も他界し、来年には母屋もなくなる予定で、自分がこの肉体を離れるときの準備として我が家の整理も行っているわけだが。


そういうお年頃っすね。


友人も似たようなタイミングでそんなことが起こっており、そういった過去のもろもろが物質としての存在をなくしたとき、やはり似たような感覚になったと言っていた。


悲しいというのではなく、さびしいというのでもなく、何か足元がふわっとするような、そんな感覚。


これはたぶん、終わりの感覚に似ている。



何かがスッキリと解決するでもなく、大団円を迎えるでもなく、ただ過ぎ去るような、ふっとなくなるような終わりだ。


過去は記憶に収納され、それが確かにあったという証明はもうできない。



犬の餌用の洗面器のようなステンレスボウルを、処分するのをやめた。



私が見送った犬たちへのドアなのかもしれない。



足元ふわっとさせながら、

今日もせっせと片付けるのだ。



いろんなことが、終わっていくねぇ。