いろんな意識を解放、統合していくわけだけども、かなり最後まで残るのがこれかなと思う。



承認欲求は存在そのものに関わる。


「私」という存在を確認したいという欲求だ。



認めてほしい、わかってほしいというもので、そこには孤独感、焦燥感からくる渇望がある。

また、安心安全とも深く関わるので、サバイバル意識ともタッグを組み、とても強い欲求となって様々な戦略を生み出す。


そこには穴のような感覚があり、その穴を埋めたいという衝動を伴う。一時的に外からの承認を受けて少し満たされる感覚があるため、再び同じ手法で満たされたいという衝動が起こる。


これが過ぎるといわゆる中毒とか依存というものになる。


これは往々にして愛情や勝利への渇望として現れる。これらはサバイバルをしていく上で、安心と安全を保証してくれるものと認識されるが、その穴は底無しなので何をどれだけ放り込んでも満たされることはない。



承認欲求は基本、得ようと思う程に底無しだ。



自己認識を進める諸氏も、何度もこれにぶつかるだろうと思う。


最後まで残るものだという認識をもって、安心して掘り進めていただきたい。


承認欲求がある、それでいい。

その穴は外からでは埋らないものだということも承知しておくといい。

その穴を埋められるのは、唯一自分だけだ。



私には価値がない、そう思ったらそれは穴だ。


愛してほしい、それも穴だ。

愛されるには何が必要か、どうしたら愛されるのか、どうしたら大切にしてもらえるだろうか。


そう思っていい。でもそれが安心安全を確保するためのサバイバル意識からきていることも頭にいれておこう。



負けたくない、勝つことで自分の価値を認めて貰いたい、成功することで自分の価値を知らしめたい。


そう思っていい。でもそれもサバイバル意識の生き残り戦略であることも留意しておくといい。



自分が自分を知るためには、自分ではないものが必用だ。世界は最初に陰と陽に分けられた。

承認欲求は、この時点で生まれる。


だから、最後まで残る。



自己覚知に至るまでは、炎天下の太陽に向かって咲くヒマワリのようだ。

ジリジリと照りつける強い日差しを浴びながら、ポジティブを目一杯浴びるけれど、その影は光が強ければ強いほど濃くなり、その影を切り離して光に溶けたいと思っても、自分から離れない黒い影をどうすることもできず。


影は、他者の葛藤として見える。

求めても埋まらない穴にある。


世界のどこかで起こってる戦争や、たちんぼをする少女たち、道端で寝転がる浮浪者、病気に苦しむ人たち、犯罪に手を染め反省しない人たちのなかに、影を見る。



その影を引きずりながら行くんだよね。

そして少しずつ包含していくんだ。


影は光でできているとわかるまでね。