最後の選択のとこなんですけど。



そのときの嫌悪感 ✔️

嫌やわー。なんなん、あの人、人をなんだと思ってんの。あんた何様なん。ひどいわー。


ジャッジ ✔️

ああいうことしたらいかん。人を差別なんかしたらいかん。人として最低やわ。


処罰感情 ✔️

正しくある必要性 ✔️

あんな人は痛い目見ればいいんよ。

絶対バチが当たるわ。

お天道様は見てはるでー。



差別する人を差別すること ✔️


価値観の合わない人を拒否すること✔️


嫌悪感を感じる人を拒否すること✔️


全部OKにして、結局



差別する人嫌やわー


これでいいわけですよね。


差別する人の存在は魂意識によって完全に許されています。同時に自分が何を思うとしても完全に許されています。嫌悪感もジャッジも、処罰感情も全て許されています。


差別する人は許せんと思っていいし、嫌だと思っていいし、私は差別なんかしないと思っていいし、差罰する人の性根は腐ってんなと思っていいし、あの人も窮屈なんやろなと思っていいし、気持ちもわからんでもないわと思っていい。


何を思ってもいい。



気付いて、解放して、統合して、結局世界は変わらなくて、差別する人もしない人もいて、それが多様性ってやつよな。


嫌悪感という感情も、解放したところでなくならない。何が違うかって言うと、それが起こったあとその感情を持ち続けないってだけです。


次の瞬間には、「ところであんた、飴ちゃんいるか?」って、関西訛りのヒョウ柄の服着たおばちゃんみたいに、切り替えができてくだけです。


なんならその嫌悪感を持ち続けて、三日くらいイライラしても全然いいわけです。


解放統合すると持ち続けるのが難しくなるってだけです。目の前で起こってないことに意識がいかなくなる、それだけです。