多くの場合これかな、と。


何かしら、現実を変えたいと思う。

まぁだからこそ人はもがき苦しむのだと思う。



スピリチュアルの視点で、あるいは自己認識の観点から、ここに大きな落とし穴がある。


こうなりたい、ああなりたい、こうなればいいのに、これではダメだ、これを変えたい。


この問題を解決したい。



今の、この目の前の現実を変えたいと思うとき、そこに大きな否定があるのに気付くだろうか。何を否定しているか?そして何を意図しているか?


念のため申し添えておくけど、問題を解決したいと思ってはいけないわけではない。問題があるなら解決したらいい。

電球が切れたら買いに行けばいいし、何か問題があるなら何かしらの対処をすればいい。


間違ってない。


旦那が浮気したらその後どうするか考えたらいい。鬱になったら仕事を休めばいいし、必要があればメンタルクリニックに行けばいい。

お金が欲しいなら働けばいいし、結婚したいなら婚活すればいい。財産を盗まれたら被害申告を出して訴訟を起こせばいい。怪我をしたらちゃんと消毒して絆創膏を貼ればいい。何かやりたいことがあるならやればいい。



たぶんここだよね。

それらがすんなりいかないとき。


解決できない問題がある。


そういうのを葛藤と言ったりする。何かに行き詰まって現状を何とかしたいと思うとき。



目の前の現実を変えたい。

嫌だから、不快だから、不安だから、怖いから、現実を変えたいと思う。思うよね。そりゃそうだ。



じゃあ、何を大きく否定しているだろう?


一目瞭然だね。その現実を否定してるんだ。

今目の前にある現実をめっちゃ否定してるよね。大丈夫。否定していい。



じゃあ何を意図してるだろう?

これも一目瞭然。その現実を意図してるんだ。


だって意図と結果は同じだもの。

現実は結果だからね。



簡単に言うとね、「解決できない問題がある」と意図してるんだ。ここから抜けるには、ちょっと嫌なことを言うけど、問題を解決しようとしないことなんだよ。


でもサバイバル意識は解決したい!と言う。

この嫌な現状を何とかしたいと叫び続ける。

こんなの望んでない!と騒ぐ。


望みと意図は違うんだ。

望みの裏に意図はある。


その意図に気付いていくことを自己認識と言うよ。そして全部をOKしていくと?わかるよね。問題は解決しないんだ。

これを受け入れるには抵抗があるよね。その抵抗がサバイバル意識の抵抗なんだ。ここの読者の皆さんはもうわかるよね。サバイバル意識を手放した向こうに魂意識があること。


問題は何も解決せず、現実も変わらず、望みも叶わないけど、それでいいと思えるところに魂意識がある。


問題は解決されず、ただ終るんだ。



その結果として現実が変わることもあるけど、そのときはもうどっちでもよくなってるんだよ。