自己覚知のときの感覚がどうだったのかを思い出してみる。


現実がホログラムだ ということが体感として、要するに目で見えるくらいにわかるのだけど、なぜそう見えるのか、という話をします。


できれば少しの間、集中して、ゆっくりと味わうように読んでみてください。




物質には情報がある。


例えば、今、自宅にいて、目の前にあるマグカップがあるとする。表面な色は赤で、中が白い。だけでなく、どこでいつ頃手に入れたのかとかとか、誰が主に使うのかとか、どんな時につかってるかとか、要するに個人的な思い出のような情報がある。


他にも陶器であるというのも見てわかる。陶器であれば、それはどこかで採掘された粘土が、おそらくどこかの工場で加工され、焼かれて釉薬をかけて再度焼かれて、同じものがたくさんあって、箱詰めされ、いろんな人と関わりながら輸送され、結果的に手に入れた店の棚に置かれ、私が手に取った。


これだけでなく、そのマグカップをつくるためには立案者や考案者もいて、会議もあったり、いろんな試行錯誤もあったろうね。


文字にすると長くて辟易するくらいの情報がついている。


あえて書き出せば書き出せるけど、普段まったく意識してないそういった情報を、それぞれの物質は持っている。そしてそれは自分の頭の中にある。あるいは意識の中にある。思い出の中にある。想像の中にある。


マグカップから引き出される情報。


個人的な思い出は、いわゆる個人のアカシック領域に保存され、立案・製造過程・輸送経路などは主に集合意識にある。さらには、顕在意識で認識してなくても、科学的・物理的な要素も集合無意識にある。


もちろん、個人の仕事によってはそれらが上にくることもあるわけだけど。




それらの情報は各方面と繋がりながら、時間というタイムラインで整理された一連の情報となっている。




目の前に赤いマグカップがある。



そこから引き出される情報が意識の中にある。

普段引き出さない情報が、そこにある。

赤いマグカップと紐付いた情報。




それが空間に吐き出されているのを想像してみて欲しい。



ありとあらゆる物質の、そして人間関係の、全ての情報が空間に吐き出され、それらは密接に繋がりながら、揺らいでいる。






その揺らぐ情報の結晶が、

赤いマグカップ。








拡大した意識はそんな感じに世界が見えます。


垣間見えたかな?






今、目の前にあるものでいめーじしてみてね!