感情が動くところには、なにかしらの認識が必ずあるので、そこはもれなく解放案件だと思っていい。
日々の生活の中で、どれだけそれがあるか、意識してみよう。
感情は自己認識という釣りの浮きのようなものだ。そこにフォーカスするとけっこうサクサク進む。
強い感情だけでなく、いつもならスルーするような小さなものにも意識を向けていく。
子供が泣いているとき、どうだろう。
ニュースを見てるとき、どうだろう。
誰かと会話をしてるとき、
子供の成績を確認したとき、
遅刻をしたとき、
通帳を見たとき、
…。
性犯罪のニュースを見たら、ほとんどの人は当たり前に嫌悪感を感じるだろう。なぜ。
仕事に向かうとき、いつも感じる小さな感情はなんだろう。それは喜びだろうか、それとも憂鬱だろうか。
官僚の汚職の疑いが報じられた、そのとき何を思うだろう。なぜ、そう思うのだろう。
友達に愚痴をこぼすとき、そこには何に対するどんな感情と認識があるだろう。
それらは全て意図となり、
世界に指令を与えている。
そう思うことは、あまりに当たり前で疑問を挟む余地もない、そこに疑問を投げ掛けよう。
なぜ。なぜそう思うのか。
顕在意識のパワーは驚くほど強く、あまりに強いがために意図していると自覚ができない。
それがどれだけ世界を決定付けているか、王たる自分の強大さに気づけない。世界がひざまずきひれ伏して、仰せのままにと現実を用意する。
その指令は、
あー、仕事かったりーーーー、
だったりするのだ。
その指令は、
くそ、今月も金がない!
だったりするのだ。
世界は万象くりあわせて、ぴったりの現実を用意する。王がかったりーーーと想えるように。
くそ!今月も金がない!と思えるように。
すべて、仰せのままに。
絶対に負けたくない!
と王がおっしゃるのであれば、そう思うに相応しい対戦相手を用意せねばなりません。
その感情を、存分に味わっていただけるよう、万象をくりあわせてご用意いたします。
すべて、仰せのままに。
ね。顕在意識ほんとすごい。