意識を大きくしてくってことはさ、要するにいろいろ気にならなくなるってことでもある。
例えば

自分のエリアに入ってるとこは知ってるとこ。入ってないとこは知らないとこ。
で、Aさんが嫌いだったり、理解不能なとこがあるとする。そこには何かしらのネガティブな感情がくっついてると思う。
この感情を手放すと「私はAさんのこういうところが理解不能で嫌い」というだけになる。
それ以上でも以下でもない。
これは少し乱暴な言い方をすると、好ましい状態になる期待を切り捨て、そういうものとして受け入れる、みたいなことだ。
「まぁ、そういう人いるよね」
というだけのもの。そうなるとあとは、対処するとか離れるとか、そういった選択しかない。
感情の解放って、簡単に言うとそういうこと。
感情を手放すと気にならなくなる。
まぁね、そういう人だと割りきっても気になるんすよ!ってのもあるよね。いちいちしゃくに障るとか。ってことはそこに感情があるよねってこと。
玉ねぎの皮みたいになってるから。
それはいろんな認識や、こうあるべきみたいな否定やジャッジ、そういうとこからもきてますよーってことね。
この、「そういう人いるよね」感は、ひろゆきさんとか見てるとわかりやすい。あんな感じ。
感情を手放したらあとはパズル。
まぁ、手放したところでなくならないから大丈夫。感情のない人になるわけじゃない。
在るものはあるから。
引きずらないだけ。
ネガティブな感情はアレルギーに似てる。免疫機能が過剰に反応して自分も傷つける。
正常なら体は対処するだけだ。
世の中にはいろんな人がいる。避けたい人も仲良くしたい人もいる。
人は同意がない限りコントロールできない。魂には自由意思の尊重があるからだ。コントロールできるのは自分の意識なので、ある程度そっちで調整すればいい。
アレルギーもあっていい。
ネガティブな感情もあっていい。
あるなぁというだけのものになってもいいし、そうでなくてもいい。
選択があるだけなのだ。