白状しましょう。

私は陰謀論が気になって仕方なかったのです。

そこの私の葛藤をご覧あれ。



陰謀論は明らかな二元やんか。

そこにいる以上救われることはないんよ。

そこから出ないとあかんのだって。


いやいや、そう思うのはおかしい。

彼等は私の意識の現れなだけで間違ってる訳じゃない。ああ、でも気になるーー。


いいのか。

そこに居続けるのも選択であって、私はそれを尊重すればいいだけなはず。二元がなくなるわけではないし。


いやでもね、仲間内にもいるのよ。

同じく自己探求をするお仲間なの。

ダメなんだって。そこから出ないとー。


いやいや、自己探求のお仲間と言えど、よ。いいか、私よ。あれは私だ。私の何を映しているかって話よ。彼等は彼等のままでいいのよ。


でもねでもね、その正義の矛先が、誰かの傷口えぐったりするわけ。根拠のない不安をぶつけてあちこちで火種になってるわけ。そしてどこか疲弊して見える時もある。被害と加害のぐるぐるはキツいじゃん。


OKOK、それでも、よ。それの何がどう気になるのか、自分の中に見つけるしかないよね。何かが間違ってる気がするんだよね?でも間違ってないのも知ってるよね?現実のリアリティーに惑わされないで。




てなやりとりを、延々とやってました。


気になって仕方なかったのです。

痛々しかったのです。


真実を追い求め平和を願う彼等が、どでかい敵を作りだし、その終わらない戦いが、どうにも痛々しかったのです。


まぁ、起源は両親の不仲なんですけどね。

父は決していい旦那ではなかったので、母はそんな父を責め続け、終ることがなく、私は母のヒステリックに父を責める声が苦痛だったし、うるさかったしめんどくさかった。


実生活ではすでに父は他界しており、母が父を責めることはないわけです。なんなら、いなくて寂しいとか言っちゃったりして、ちょっとちょっとパパ!聞いた?さびしいだってよ!みたいな平和があるわけです。


なので、ほんとに残像みたいなものでした。


その辺りはさんざん掘り尽くしたし、いろんな後悔はサクッと手放したつもりだったので、見落としてましたねー。


起源の起源が幼い自分のいじめ衝動だったとは。


その自責の念から、私は家庭内平和運動を繰り広げ、お互い理解しあって歩み寄ろうといい続け、それは叶わず、それでもなぜと問い続け。


ねー。


世界は私を映すモニターだもんね。



まぁ、争いが嫌いだったんですね。

見たことのない大きな敵に、遠慮なく牙を向く彼等が羨ましかったのかもしれない。


おっけーとしましょう。