自閉って興味深いなと思って。


私の母はかなり自閉傾向が強く、私はそれが理解できなくて「なんでなん?!」が積み重なった人生を営んできた。


人と人との繋がりは、ある意味他者理解で深まり、それは人生を豊かにしてくれる。

他者の考えや感情に共感(ネガティブ・ポジティブ含め)することはあまりに当たり前すぎて、それがない世界観に気づかなかったのだ。


私にもある程度の自閉傾向はあるのだと思っているが、母ほど濃くはない。息子も傾向はあると思うが、やはり母ほどではない。ファミリーの中では兄が強めだと思うが、これまた母ほどではない。このあたりに我が家のグラデーションが垣間見える。



母は7人兄弟の長女で、妹がひとり統合失調症を持っている。意識の構造をみると、自閉と統合失調はほとんど同じ形で、自閉傾向が強く、なおかつ恐れや不安がピークを超え、外からは妄想に見えるものがその人の世界では現実化しているのが統合失調という感じだ。


恐れや不安が軽減されると、いわゆる寛解という状態で、普通の自閉と変わらないのだと思う。

自閉という閉じた状態だと情報の共有が行われにくいので、自分の世界だと現実だと認識してることが他者と共有されず、他者には妄想とか思い込みと認識される。情報の共有がしっかりされていると、それは物質レベルで現実化しやすい。
これは、幽霊が物質化しないのと似ている。


自閉の人は、人として大きなものが欠けているように見えるが、これはこれで完全体と言えなくはない。覚醒手前の状態とそっくりなのだ。


ひっくり返ったら覚醒で、そこで止まった状態が自閉とも言える。その違いは、外があると思うか、ないと思うかだけのことだと思う。



子供のころ兄と喧嘩すると、喧嘩両成敗で必ず二人とも怒られた。それについて聞いたことがある。


なぜ、どうして喧嘩になったのかとか聞くことなく、どっちも悪いとされたのか。子供にだって言い分というものがある。母はこう言ったのだ。


「その現場を見てないからわからない。

わからなければジャッジはできない。

喧嘩はよくないから、どっちも悪いでしょ。」


普通は聞くと思うのだ。分からないからこそ。この分からないものを、分からないものとして受け入れるとそれ以上がない。


分からないものを知りたいという欲求があるかないかなのだと思う。外というのはこの「わからない」なのだ。


そして、わからないとわかるの比率は体感的に

95:5。知ってると知らないもこんな感じ。


知りたいと思ってその世界に触れて、少しわかった時点で全てわかる感じがあり、さらにいくと「わからない広大な世界」に気付く。


この、全てわかる感じには万能感があり気持ちがいい、これは意識が拡大するときとそっくりだ。自閉傾向の強い人はこの辺にいて、その点において恐れや不安が少なければ、彼らの幸福度はかなり高いのではないか。実際母は自己肯定感がやたら高い。



自閉の人は境界が曖昧だと言われるが、意識が拡大するとやはり境界がなくなる。

たぶん、この境界の話なんだよなぁ…。

その関係性というか。

自閉の人は多分レイヤーが一個下な感じ。あ、いや、そうでもないのか?あれ?


まだうまく纏まっていないのだけど、ここになにかが埋まってる気がするので、もうちょっと掘ってみようと思っている。