光の速さは一定で、光速に近い速度で移動したとしても、光は同じ速度で観測者を追い越す。


ということは、観測者はどんな時も止まってるって考えていいよね。意識の構造を考えるとその方がしっくりくる。


例えば、道路の上を自分は歩いて移動していると思っていても、実際には道路を含む周りのすべてが移動しているのであって、自分は全く動いてない。ゲーム画面で主人公が真ん中にいるのと同じ。


そう思うと天動説もあながち間違ってない。


こういうことよくあるんだけど、物理学って上書き修正して発展してきたんだけど、アインシュタインが最大の過ちだと言った宇宙定数も、あれ?これ案外使えるんじゃね?ってなってきてるらしい。


光は観測者にとって一定とするなら、観測者の数だけ違う世界がある。Aさんの見ている世界と、隣にいるBさんの世界はそっくりだけど厳密には全く別物だ。観測者は人に限らない。GPSはGPSを観測者として扱うからこそ、時間のずれが生じる。


太陽を観測者としたとき、光の速度はやはり一定で、時間の進みかたが違うので、人の一生なんて瞬間に近い短さに感じるのだと思う。像の時間とネズミの時間が違うように。

要するに、やっぱそこは質量に依存すんのか?


光の速度で移動する光そのものは、もはや時間が存在しない。


もし、光のその一瞬を捉えるなら、観測者は静止していると同時に、光の速度で移動しているとも言える。何もない空間でどちらが移動しているかなんて、確認する術はない。


実際、時間なんてないし。


そこになー、意識を集中することだと思うんだよねー。自己覚知のとき、そんなかんじだったんだよな。光と自分の区別はできない。


ひとつの地球にたくさんの人がいると思ってたけど、たくさんの観測者ごとに地球があって、というか宇宙があって、それは完全に別々で、データを共有はしてるけど、ちょっとずつ違う。で、これがマルチバースで、なんならそれも全部自分でっていう、なんならその外側にもどっさりあんじゃん、ちょっと待ってくれよ、いまの私には受け入れがたいぜってものだった。


このリアルな3D空間、2Dって思ったら2Dだねってなるかんじ。データがあるだけで、それを擬似的に映し出した仮想空間なので、あるっちゃあるけど、ないっつったらないよね、っていう。


たぶん、ブラックホールの中ってそんな感じなんだと思うんだ。


いつかはそこに行くんだけど、そのあとどうするんだろ。そこで私は何を思うんだろ。



…やることは同じか?…そういうこと?


えー…。