カサンドラからスピリチュアルに入る人けっこういるかもなぁと思ったので、もし参考になれば。
パートナーがASDの方も、その元を辿れば親だと思うのでそこから。
すっっっごくわかってもらえない感、これがけっこうしつこくあると思う。
- まわりの理解が得られない
- とにかく理解してもらえない
- ないがしろにされる感じ
- 報われない感じ
- 意志疎通ができない
- いいように使われる感じ
- コントロールを強要される
- 誰も助けてくれない孤独
親に自閉傾向が強くあると、こういった感覚を持ちやすいかと思う。
その世界観の違いはこんな感じ。
家族などの身近な人になるほど自分と自分でないものの区別ができない。点線からはみ出た部分の認識や感情は理解不能。
点線内は同じ認識と感情で満たされている感覚。なので、相違があると混乱する。
相手がいるという感覚がないので、自分の手足のような感覚で他者と接する。
例えばASDの旦那が妻を労うことがないのは、私たちが何か物をとる時に持ち上げた手にいちいち感謝しないのと同じ。ASDの旦那にとっては、妻が掃除してるのとルンバが掃除してるのは感覚的に同じ。
全て自分なので、自分との意志疎通の必要性がそもそもない。何を考えているか聞く必要性がない。その発想さえない。おそらくコミュニケーションという言葉の意味が理解できない。
生まれてこのかた自分しかいない世界でひとり遊びをしてるようなものなので孤独を感じにくい。孤独は相手がいるという認識こその感情なのだ。
自閉はスペクトラムなので、極端な場合はこんな感じということで、濃度はそれぞれだ。
自閉の人の人でなし感は、意識が拡大するときの若干サイコパス風味になるのと似てる。一方で自閉症のピュアさはときに人に癒しももたらす。
自閉の人の活用法
人間としてコミュニケーションを楽しみたいなら最も避けたい人1位だが、覚醒に向かう道中で身近にそういう人がいるなら避けては通れない。その自閉の人は確実に自分の意識の投影なのだ。
自身のメンタルは最大限に守りつつ、解放統合に取り組むべし。恨みや怒り、悲しみと絶望感、言葉が届かない虚しさ、孤独感、お察しする。大丈夫、周りの人たちにはわかってもらえないそれも、わかってくれる人はたくさんいる。一人じゃない。
- 相手に受け入れてもらえなくても、気持ちは伝えよう。真剣な表情で短く簡潔な言葉を選ぼう。
- 暴力や暴言から、自分を守ろう。
- 物理的な安全地帯を確保しよう。
- 相手の葛藤も自分のこととして解放しよう。
自閉の人はある意味情報量が少なく、他の人たちとの同意も少ない分、結果が分りやすいという利点がある。
相手がそうであるということは、まず間違いなく自分も何かしらの発達障がいがあり、先祖親族に受け継がれてきた葛藤がある。
この件を解放統合することは、家系のカルマを解放することでもある。一族の代表として真摯に取り組もう。
解放するときには、自分個人だけでなく先祖代々一族郎党すべての時空において解放するイメージを持っておこう。
いつか、まさにそのために自閉の人がいることに気づく瞬間があるはず。