意識が拡大すると、ワンネスという「全部自分だー」状態になる。そのとき、脳内快感物質だだもれで多幸感があるわけだ。

意識が拡大するので、その分潜在意識や無意識、アカシックの情報と繋がりやすくなり、この体の自分だけでは知りようもない情報を自分のものとして受け取ったりする。


全部自分だというところでは、自閉と何ら変わりがない。感覚も鋭くなるので、感覚過敏状態にもなる。

自閉の人にサヴァン症候群がいたり、アーティストが出やすいのも納得だ。


覚醒剤(読んで字のごとく)などの薬物でも同じような感じになる。その多幸感を味わいたくて中毒になるわけだが、これらは何が違うのかというところだ。


簡単にざっくり言えば、恐れや不安を持ったままだとそうだよな、というところ。恐れや不安を持ったまま薬を使うとバッドトリップして、うっかり大量殺人とかやらかしちゃうし。

母のヒステリーはこの大量殺人と質的には同じなのだ。


あ、そうそう、自閉の延長線にあるのがこの統合失調症なのかな?似てるんだよね。この閉じた感じ。閉じてるから外界との同意がとれてなくて、その人のなかでは現実なのに、それが共有されてなくて、外界から見ると妄想だねってことになる。自閉より恐れと不安が格段に強いかな。


刑事責任を問えないってのは、同じ世界にいないからこっちの法律で裁けないよねーってことでもあるかもしれない。

たから罪には問わず、措置入院っていうこれまた閉じた世界に入れるんだろね。


何より自分を困らせる自閉の人は、自分の何を映しているのか、だ。自分は自分の何を許していないのか。何に気づいていないのか。


私がどれだけ開放統合したところで、母が自閉でなくなることはなく、虐待の記憶もあるわけで、相変わらず人の気持ちに全く寄り添えない母を、いかにより統合するかなのである。


先日、母の世界を覗いたときに何より感じた箱庭感。外界を遮断するのは、外界はわからなくてこわいし、この中は完璧だからこれでいいの感が満載だった。閉じ籠っていれば安心安全めっちゃ幸せなので、そりゃそうよなという感じだった。だいたい、そんなわかんないもの興味の持ちようもない。


結局のところどこまでも、母は母のままでよいというところにしか行き着かない。


母に、私に都合のいい人になってもらう必要はないし、だからといって母にあわせる必要も、大好きになる必要もない。


実のところ、愛とはそういうもので、それでいいよということなのだ。


なので、母の外界への連絡通路には拡張工事もせず、ただ暗かったので窓だけつけてちょっと爽やかな感じにしといた。


最近はキーッてならないし、ピョコピョコ幸せそうだしな。


母からの魚の支給がラッシュで、半分くらい腐らせてしまったと伝えたら

「何で言わないの」と。

「お母さんが怒るとめんどくさいんだもん。そんなこと言うんだったらもう一切持ってこない!とかいうからさー。米はいるし、一切だと困るので、全部もらって捨ててるの。」


母はちょっと考えて

「じゃあ2回に一回にするわ。」

「そうしてください。ま、どれだけいるか聞いてくれたら答えるんだけど。いる時もあればいらないときもある。」

「ふぅん。わがままだね。」

「どの口がいってんの。」

「とにかく、2回に一回にする。」


という、和やかな会話もできるようになった。

なんと、感情にまみれず会話ができている。


充分。


解放統合やってきただけのことはある。


なにより、私が母の世界下にいる必要もない。

母にとっての私と、この私は別人だけど、そんなのどうでもいいしな。


愛されてこなかったと感じていたけど、構造的に無理な話だし。


「あー、可能性は低いけど、好きな人できたら行くからね。お母さんが怒ってすがって邪魔してきても、蹴っ飛ばして行くから。」

「そうして…。」


もうほんと、こんな会話20代でやっときゃよかった。母があまりにめんどくさくて、分からないとこで付き合ったりしてたけど。相手が親に会いたいと言ってくれても、私が嫌すぎてさよならしてたし。


でもそれは実は母に邪魔されるからでなく、私がお一人様が好きなだけなんだけどね。


私にとっても母は、私だからな。

おんなじだ。


シリーズにしようと思ったけどもういいかな。

これでおしまい。


面白いネタがあれはまたそのときに。



ではではー。