ふつうの感覚だと「この体が私だ」となると思うのだけど、自閉の人にとっての「私」は、とりまく環境(人、物、情報)全てを世界ごと「私」と認識する。


私も自己覚知の経験がなかったら、その感覚が掴みづらかったと思うのだけど、例えば小さな会社でワンマンな社長を想像するとわかりやすいかも。


社屋、経営方針、人材、資材全てが社長のものであり、全ての決定権があり、その会社の経営は自分の人生そのものだ、という感覚。

社員はその能力が会社に有益かどうかが重要で、自分のやりたいこと(経営方針)を実現させるために働いている。

会社のスローガンに則って、社員一丸となって会社を盛り立てていこう、みたいな。


自閉の彼らにとっては自分ではない体も自分で、上の例の社長にとっての社員だ。

自閉症の子どもの特徴に、クレーン現象というのがある。棚のお菓子を取るのに親の手を使うなどのことで、彼らにとってそれは自分の手を使うことと意味は全く同じなのだ。


(これが母の「私」しかいない世界)


母は息をするようにあれやってこれやってと指示をするのだけど、そこに感謝がないのは、このクレーン現象のひとつの現れで、頼み事をしているという感覚がないからだ。

あくまでも自分の体を使ってる感覚でしかない。

「お母さんって本当に気軽に頼み事言うよね」と言った時に、隣にいた弟は深く頷いていたのだけど、母は「え?私がいつそんなことした?頼み事なんてしたことないけど。」という顔でキョトンとしていた。


断ると当然激怒するのだが、それは自分の手が使える状態なのに使えないという理不尽さを受け止められないからだろう。母にしてみればわけがわからないといったところか。パニックになり、ヒステリックにわめき散らす。

母の好きな言葉に「立ってる者は親でも使え」というのがある。これは母の正当性を示すためによく使われた。



さて、自閉傾向の強弱はおそらく他者という概念の強弱におおよそ比例すると思われる。

自閉傾向が強いほど他者を認識しにくい。

ここが一番理解のしにくいところかと。


例えば自分の環境下にいる人は全部自分だと感じているので、自分の認識や感情は当然共有されているという感覚でいる。

みんな同じように思っていて、みんな同じ感情を味わっている。自分のコピーがその体のなかにあるという感じ、この状態のときはすごく安定していて安心で安全で幸福感や満足感を得ている。


ところが、自分が思っていることととは違うこと、例えばすごく楽しい!と思ってるときに「つまんない」などの反対意見を誰かが言うと、とてつもない違和感に襲われる。得体の知れない何かが自分のなかにいる!という不安と恐怖で、パニックになり、それを自分の中から追い出したいという攻撃性に駈られる。


これは身体でいうところの免疫反応のようなもので、そう考えると自然な行動だ。


私もこれでずいぶんやられた。母と違う意見を言うと家のなかは内戦状態になり、絶対君主である母は戒厳令をしき、徹底的に弾圧をかける。子どものときはよく屋外に閉め出されたし、年頃のころも私の帰宅前に家中の鍵をかけて入れなくして「ごめんなさい、言うとおりにします」と泣いて許しを懇願するのを期待された。


まぁ、そんな事せずに彼氏のアパートに戻りましたけどね。家に帰るのが嫌で数日泊まり込んだり。もちろん母は余計に怒り狂うわけで、その後は無視とか怒ってますアピールとか、嫌がらせを散々されましたよ。まだ若かったのできつかったなぁ。


自分と違う意見や、思い通りにならないことが、通常で考えるより遥かに強い違和感となる。

なぜなら、自分の世界には自分しかいないからで、その違和感は徹底的に排除しないと休まらないのだ。


自閉傾向の強い母親の教育虐待なども、こういった仕組みで行われる。そういった家庭の子どもは従順でいることが、何より自分の命を守る方法になる。


でも、別人ですからね。中身が同じな訳もなく、いつかそれが殺意に変わっても不思議ではない。私も何度か夢の中で母の首を絞めたり、コンクリートの床に叩きつけたりして、目がさめたときに嫌な汗をかいた。



今さらだけど、私よくここまでもったなと。

たぶんメンタルはそこそこ強い方だったのと、物理的な距離をとったのが鍵だった。


自閉の人が悪いわけではない。住んでる世界が違うのだ。同じ現実を共有しながら、異世界にいる。そして親子やパートナーの場合それは主に外からはうかがい知れない家庭内で繰り広げられる閉じた世界なのだ。


でもその仕組みがわかれば、なにかやりようがある気がする。


せっかく母も元気に生きてるし、今のうちに母の世界を聞いておこうと思う。彼らのいる世界と私たちの世界の違いと、お互いが憎しみあわずに安心できる共有世界の構築が、どのくらい可能か。彼らが自分自身だと感じている家族にしかできないことがあると思うのだ。


ASDの人と、どういうつきあい方をすると、お互いが平和でいられるかのフィールドワークだね。


もしも少しでも誰かの参考になれば幸いだし、ああ、そういう世界もあるのかぁとおもっていただけたら幸いです。


ま、何より私の興味だけどね。

どんなんなっとんじゃーというね。

理解できなかった世界が理解できるかもしれないという面白さ。


しばらく続きます。