自閉的な世界ってのを考えてて。
母は、自分ではないと認識したものを自分の世界から押し出すみたいなことを無意識でやってるんだけど。
これって、ウィルスとか病原菌とかを攻撃して安定した体内環境を作ろうとするのと同じだよなと思ってさ。
でも、悪さはしないとか、有益だってなると共存もできる。ビフィズス菌みたいに。
で、母と話をして思ったのは、他者というのが漠然としてて「わからない」というカテゴリーに全部入れちゃう。
で、「知りたい」っていうのは他者認識のひとつでもあるんだなということ。
母は、わからないものはわからないんだから、知ることはできないっていうロジックが働いてるみたいなんだよね。
自分と一致するものは受け入れるけど、違うものは出しちゃう。要するに自分の世界にはないものとして認識する。
おそらくこれが、100-0思考になるところ。
自分か自分でないか、だね。
たから、グレーな領域はうまく理解できない。
母が自分は好き嫌いがないっていう認識をしてて驚いたことがあるんだけど、実際にはすごい偏食で食べたことないものは食べられないし、嫌いなものは食べないから(自分の世界から押し出す)、自分の世界には好きな食べ物しかないという認識になって「好き嫌いがない」となる。
これは食べ物だけでなく、人とか動物とか物質とか情報に対しても働く。
新しい場所や物、したことない経験は未知で「わからない」フォルダに入っていて、怖いという感情が先立つので進んでチャレンジはしない。
自分と自分をとりまく世界全部を自分だと認識してるので、それは体だけではないという意味で意識は完全に拡大している。
自閉という命名はそういうところからきてるんだろうね。
いろいろ、なるほどなーーーーと思って。
ASDの母は、私を別人としてではなく、自分を構成する大事な自分の一要素として認識している。なので手放したくないし、彼氏にかっさわれるのは我慢ができなかったのだ。そしてその彼氏は当然知らない人で自分ではないので世界から追い出したい。断固追い出したい。
母が私を大好きなのはよく解るんだけど、愛されてると感じないのは、母の世界にいる私は私のほんの一部でしかなく、母の自分ではないところはがっつり削っててないものにされてるからだった。
これを私は否定されてると感じて、私を一人の人間として扱っているのではなく、ペットや物として大事にされてるだけだ、みたいな感覚があったのだ。
母にとっては人も物も同じなのでね。
自分か自分でないか、だから。
ASDの人が他人に共感できないのは、認識できる自分の世界には自分しかいないから。
なーるーほーどーねぇぇぇ。
そういうことねぇぇぇぇぇ。
ASD傾向の強い親が子どもに罰を与えがちというのは、自分ではないところを削ぎ落とすための儀式だったのだ。
子どもにどれだけ罰を与えても自分は痛くないから平気だしね。
世話はしないけどとられるのは嫌というのも、自分の一部だと認識してるからだ。
母はおそらく自閉傾向は強い方で、でもお勤めの経験は僅か、自営業で好きなように発注ができ、7人兄弟の長女でみんなねーちゃん大好き。
マイワールドの構築が比較的うまくいった。
血の繋がりはけっこう重要で、それだけで繋がりを認識できる。
新しい家族とか親戚もすぐには受け入れられないので最初は敵意を出すけど、会う回数が増えると慣れていく。
父を受け入れることが難しかったのは、毎日自分の世界に異質なものがあるという不快感。
自分と違う違うこと言うからね。男だし。
でも自分ではないものを押し出し続けたし父も他界したので、今や母の世界には自分でないものが完全になくなって、めっちゃ快適なはず。
なので実は母は自己肯定感がめちゃくちゃ高いです。みんな私を大好きだし、誉めてくれているという感覚の中にいる。そうでない人は出しちゃうからね。いないのと同じ。
14年ほど前のニュースでは、自閉症者は他者を認識するための神経がないか極めて弱く、脳内のたんぱく質とかセロトニンの分泌が少ないことが関係してると伝えられていた。
セロトニンねー。
だからよけい怒りっぽいのかな。
たぶん自分の世界に埋没してるときは、めっちゃ出てると思うわ。
計測してるときはそこに他人がいるし、慣れない装置つけてるだろうからね。
その装置も自分の一部だという認識ならまた違う結果が出るのだと思われる。
よし。
考察はこのくらいで、今度はこれを応用してみよう。
ではまたー。