感謝しなさい、これがほんと嫌で。


母がそういう人だったからなんだけど。

例えば何かしてくれたー 別にどっちでもよかったー からの「感謝しなさい」ー  (別に感謝してないけど一応言っとく)ー で、ここ「見返りを求められる」。或いは心からの感謝を求められる。


無理やて。感謝してないんだもん。


なんならありがた迷惑で二重債務だわ。


で、以前はここに「あなたのために」というワードがオプションで着いてて、それが絶妙に負荷をかけてて、自責や反省や依存なんかが含まれてて、スピリチュアルに取り組み始めた最初の解放案件でもあった。


で、今この「感謝 再」がきてて、なんかしら一周した感なんだけど、めっちゃ不快だったの。


「お母さんに感謝しなさいよ」

いやしてないんだってば!

なんならボランティア精神でもらってあげてるくらいの感じなんだってば!


これもう絶対ダメ出しじゃんと思って。



ここには感謝と御返しという、いかにも日本文化らしいのが根強くあるなぁ、というのでこれを解放。


ここんとこ魚ラッシュで食べ切れず、腐ってゆく彼らに対するごめんなさいを解放。

うう、触りたくないを解放。

綺麗に下ごしらえまでしてくれる叔父への申し訳なさを解放。

頂き物に対するあれこれを解放。


何かをあげるというのは、実のところそれそのものが喜びであるので、御返しは特に必要なし。

ありがとうと言って受け取れば完了。


要らなければ辞退するか他へ回せばOK。


失礼なのでは?を解放。大丈夫。


あげたり貰ったりというスムーズな流れを受け入れる。


あらゆるサービスの、なんだかんだ健全な流れを受け入れる。


捨てたとしても、大きな循環にあることを再確認。大丈夫。




最近「いらん」と断るのさえ面倒で不用意に受け入れすぎた。お陰で冷蔵庫の中が騒がしい。

スッキリした冷蔵庫を意図。


母には感謝することもあれば、しないこともある。OK。




イサキの刺身炙りと炭火焼き