肉体意識は体の細胞意識を内包している。

細胞意識にとって肉体意識は上位意識だ。


どこで区切るかはあるにせよ、

肉体意識のすぐ上の意識は地球意識といったところか。

その上が宇宙意識といっていいかと思う。


始まりと終わりはメビウスの輪のように、

内包されたものは、いずれ上位を内包する。

へびが自分の尻尾をくわえるあれだ。


素粒子物理学が宇宙に直結しているように。


意識は入れ子形式のフラクタル構造で、

内包を繰り返すが、

その模様を決定するのは中心である私だ。

ひとつ変えれば全体が変わる。



意識というものに取り組むなら、

この内包する意識を意識しておくとよい。


3つは用意してあるが、

地球現実を生きるなら、3つ目の出番はあまりない。

これは、宇宙意識とか、プライマリーというやつにあたるのかな。

出番は多くないけど、常備する。


雰囲気でいうなら、

それは大きな流れのようなもので、

もののけ姫に出てくるでーたらぼっちに似ている。


酸いも甘いも生も死も、

ネガもポジも含むそれ。

でーたらぼっちにとっては、

それらも小さな営みのひとつにすぎない。


体の細胞が、絶えず入れ替わるのと同じ。


生きても死んでもたいしたことではないので、あまり出番がないのだ。

ここに意識を置くと、

人間的にはちょっとサイコパス感を醸し出す。


日常で実用的なのは地球意識くらいまで。

これだと天使だの菩薩だのといった、

諸センパイたちの、人間らしさというか、

近しい感じがあって、

気持ちに寄りそう的な感覚もある。

表面的にはそれは優しさもにも見えるが、

肉体意識の「優しさ」とは、ちょっと違う。

なぜならバックグラウンドには、

サイコパスチックな意識があるからだ。


肉体、地球、宇宙のこの3つでだいたいいける。