これ、自分の中にずっとあったなぁってやつなんだけど……。
何かを肯定することが別の何かを否定しませんように。
これをずっとどこかで思ってて!
根っこにあるのは両親の夫婦喧嘩ではある。
母を肯定すれば父を否定したことになり、
その逆も然りで板挟みっていう。
あー、争いの中だとそりゃそうなるよなぁ。
なので普段何かを肯定する時に、
小さな痛みがあるんだよね。
私が化粧品の広告が嫌いだったのは、
ビフォーアフターがなにかとつきもので、
比較してこっちがよくてこっちはだめってなりがちで、
それがどうにも居心地が悪い。
解放統合の中では感じないんだけど。
いい機会なのでこいつを解放しとこう。
まずはこの小さな痛みを解放。
解放のときの肯定は存在確認というのに近い。
確認するだけなので一方を否定することにはつながらない。
肉体意識にある肯定には、
その対象の味方だよという意識がくっついているようだ。
ああ、それで私は自分がコウモリのようだと感じたわけだ。
味方という意識が敵味方という二極に繋がるので、
これを解放。
それは二つの極があるなという認識でOK。
肯定と否定も同じく二極なので、同上。
うん、肯定否定には存在確認の意識を使おう。
……よし、おっけー。
こんなとこかな。