魂は愛であり、それは言葉で表わすなら、

 

「それでよい」ということになる。

 

 

それはけっこうシンプルなことで、

ただあるものを、あるなぁと捉えるものだ。

 

このシンプルな事象や物質にいろんな意識が付随する。

 

 

 

 

 

例えばコーヒーというシンプルなそれに、いろんな情報が付随しているのを見て取れる。

集合意識や集合無意識には物質としての情報が、

潜在意識にはコーヒーにまつわる個人の経験や情報が、

おびただしい量の情報が盛り込まれて存在する。

 

 

シンプルなコーヒーに、多くの情報が付随しているが、

そこにはコーヒーがあるだけだ。

 

 

例えば人がひとり佇んでいたとする。

 

 

 

人がひとり佇んでいるというシンプルな事象に、

くっついている情報は何かという話。

そこにある二元に感情が付随して何を選び、

なにを体験しているかという話。

 

感情を解放して認識を眺め、俯瞰視点から認識の再構築を図り、

二元の比重を等しくした時、

それは人がひとり佇んでいるというシンプルな事象となる。

 

そこには当然いいもわるいもなく、

「そうある」以外の何者にもならない。

 

 

すべての二元が「それでいい」という一元に帰っていく。

 

 

すべてそれでよい。