30代の頃に「人はなぜ生まれてくるのか」という問いをした時、
返ってきたのは「感情の体験」というものだった。
成長するためでも、成功するためでもなく、感情の体験であるのなら、
私は全ての感情を味わい尽くそう、
そう思ったのだ。
先日、私は生きるってめんどくさいなが高じて、
「しんじゃおっかな」と、どうやって遂行するかを考えていて、
はっとしたのだった。
こ、これが「しんでしまいたい」というやつか!、と。
ああ、これか、意識が小さくなってか細くなって、
消え入りそうなこの感じ、一粒の涙のような、これだ。
ああ、そうか、
これまでの日々はこれを味わうための準備だったか。
そういえば1週間前くらいに希死念慮ってどんなだろうって思ったんだった!
ああ、なるほどなるほど、とひとしきり納得して、
その感情を愛おしく味わって、息と一緒に見送った。
というわけで、この人生で味わえるネガティブな感情を、
おおよそ一通りコレクションしたな、と思った数日後、
3か月サポートの申し込みが入った。
途中で飽きてほったらかしにしてた
「かなしみよサヨウナラ」を必要に迫られて書き上げて、
解放の手順をより具体的にロジックとして現せないかと奮闘中。
こちらは「解放・統合ハンドブック」とかにしようかな。