自分は何を思っているか。
見えない意識の中に、何があるか。
そこには、良いことも悪いこともあって、
悲惨な事も素晴らしいことも、なんでもあって、
あらゆる物語を紡ぎ出し、
味わい深い感情を呼び起こす。
それらはトーラスの膜にデータとして保存され、
その境界にホログラムとして映し出す。
見ているものは見ておらず、
触るものも触っておらず、
聴いてるものも聴いておらず、
ただ、そう思うことしかしていない。
あるとないはいつも重なっている。
それを可能性という。
世界は何も変わらない。
変わらないのに、変わるのだ。
それは、視点をどこに置くかということでしかない。
わかるとわからないは、
顕在意識と潜在意識に比例して、
わかればわかるほど、わからないが増える。
それでもわかりたいと思うので、
どうしたって宇宙は膨張するのだ。
宇宙は膨張するけれど、
収縮しているとも言える。
視点がどこかというだけの話だ。
エネルギーとその方向があるだけなのだけど、
その方向さえ実のところ曖昧だ。
曖昧さが軽減するのは、
別のエネルギーが出現した時だ。
ふふ。
すべてを見渡したいと、
見渡す必要があると思ったけど、
それは諦めるということでしか達成しないのね。
諦めるという言葉もなんか微妙だけれど。
まぁね。
いたたたたた、と言いながらも
今日も元気でYouTube見てます。